実際の出産はどのような感じでしたか?
予定日1週間前の健診で「出産はまだ先でしょう」と言われたのに、その日の夕方におしるしが!びっくりして担当医に連絡すると「陣痛が定期的になるまで自宅で待機を。もし破水したら病院へ行くように」と指示がありました。
陣痛なのか前駆陣痛なのか分からない状態で一晩を過ごし、念のため翌朝病院へ行ったところそのまま入院になりました。
担当医の部下にあたる医師が、担当医と連絡を取りつつ対応してくれました。
午後、子宮口が5センチ開いてから無痛分娩のための麻酔を開始。夕方になってようやく担当医が来て、その数時間後に出産となりました。
分娩の立会いは家族1人だけ可能で、出産の瞬間を夫と迎えられたことは本当によかったです。
なぜ、海外での出産を選ばれたのですか?
理由はいくつかあります。
- 夫が日本に帰国するのが難しかった
- 万が一、何かあった場合は夫の判断に委ねたいと思った
- 妊娠中期以降に日本の産婦人科へ転院するのは難しいと感じた
- 実家で長期間を過ごすのは困難と思われた
- マニラではヤヤに来てもらえる(ヤヤとは、ベビーシッターをするメイドのことです。依頼に応じて家事もしてくれます。)
などです。
海外で出産してよかったことや困ったことについて教えてください
クリニックや病院も自宅から徒歩圏内で、夫のオフィスからも近くて便利でした。また、想像していたよりも病院の設備がよく、スタッフもテキパキとしていました。普段のフィリピン生活で時折感じるイライラがまったくありませんでした。
また、夫が出産に立ち会えたことが何よりよかったです。自宅での生活にはヤヤがいてくれたことも本当に助かりました。
ただ、困ったのは出産直後でした。病室は個室なのに騒音がうるさくて休めなかったのです。分娩室から病室に移ったのは真夜中でしたが、隣の部屋の会話が騒々しく、また翌日にはパーティーまで行われ、ほとんど眠れませんでした。
さらに追い打ちをかけるように、夫の同僚がいきなりお見舞いに!フィリピンでは産後すぐにお祝いに来ると聞いていたので、友人には出産したことを一切伝えておらず、夫にも周りに伝えないようにお願いしていたのに、どうやって知ったのでしょうか。私はここでブチ切れ、部屋を変えてほしいと夫に泣いて訴えて交渉してもらい、やっと静かな部屋に移してもらえました。
また退院後に、産後の一週間健診に赤ちゃんを小児科医へ連れていかなければならず、ヤヤと実母の助けがあっても大変でした。
そこで黄疸の治療が必要と分かり、出産した総合病院へ再入院。すると、産後でも私は付添人という扱いで、ベッドが与えられませんでした。ベビーベッド横のカウチで休むしかなく、これでは身体がもたないと思い、交渉してやっとベッドを確保することができました。治療を嫌がる赤ちゃんの世話も大変でした。
産後の入院期間が3泊4日と短いフィリピンだからこその苦労かもしれません。
出産前後に、お手伝いはお願いされましたか?その場合、どのような点がよかったですか?
出産予定日の1カ月前に、それまで来てくれていたパートタイムのメイドからフルタイムのメイド(ヤヤ)に切り替えました。私が仕事に復帰する目処がついていたためでもあります。ヤヤには赤ちゃんのお世話のほか、掃除、洗濯、買い物をやってもらいました。
また、3週間ほど日本から実母が来てくれました。
この2人のおかげで、授乳と夜間のお世話以外は身体をゆっくり休めることができ、本当に助かりました。
ただ心配は、母がヤヤに気を遣いすぎてうまく意思疎通できるのかということでした。しかし、片言の英語で一緒に買い物に行くなど仲良くやってくれました。