度重なる海外生活でも、キャリアを紡ぎ豊かにするには <前編>

1カ国目で日本語教師に従事したことをきっかけに、本帰国後に大学院進学、その後に続く海外生活でも教師や執筆活動とキャリアを重ねていったという松原さん。海外生活を繰り返す度にキャリアの幅を広げていかれたお話は、自分で生活のコントロールをしづらくキャリアプランに悩む駐在妻たちへの心強いメッセージとなるでしょう。
4カ国に渡るご経験を、全3回でお届けします。

―自己紹介をお願いします。

松原直美です。夫の海外赴任に伴い4カ国に住んだ経験があります。それぞれ、タイのバンコク(1998~2002年)、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ(2006~2012年)、イギリスのロンドン(2013~2018年)、ブラジルのリオデジャネイロ(2018~2020年)に住みました。夫は商社勤務のため、海外赴任がたびたびある生活をしてきました。

思いがけない経験がキャリアのはじまりに

―複数の国で生活経験があるのですね。まずは、1カ国目のバンコクでの日本語教師の話を聞かせてください。

渡航直前まで勤務していたメーカーで仕事を楽しんでいたので、当初はバンコクでも同じような会社で働きたいと漠然と考えていました。しかし、タイ語の語学学校で先生方からタイの文化について学ぶうちに、タイに強い興味が沸きました。そんな時、現地の公立中高一貫校で日本語授業のボランティアをしていた語学学校のクラスメイトが帰国することになり、彼女の後任として週に数回、授業のお手伝いをすることになりました。

タイでは、大学入試共通テストの選択科目に日本語があったので、多くの高校で日本語教師を募集していました。日本語を教えることは、タイだけでなく今後どの国に住むことになっても役に立つスキルになるだろうと考え、急遽、通信教育で日本語教師養成講座※を受講しました。その後、別の公立校からも声をかけていただき、正式に非常勤の教師として就職しました。

―バンコクで始めた日本語教師が、その後の松原さんのキャリアの原点となったのですね。

学生時代のアルバイトで塾講師の経験があったものの、やはり仕事に慣れるまでは大変でした。しかし、国際交流基金バンコク日本文化センターの勉強会にも参加し、少しずつ教授法などを学んでいきました。タイ語の能力は同僚から学べたことでかなり鍛えられましたが、それでも職員会議では話題についていけるか不安でしたし、保護者面談もとても緊張しました。しかし、タイは親日国ということもあり誰もが親切に接してくれましたし、卒業アルバムに私の写真が載っているのを見た時は本当にうれしかったです。

日本語教育に関しては、大学時代に米国留学をした際にアシスタントを務めたことがありました。しかし、当時は将来の仕事にするつもりはなく教職課程も取っていなかったので、バンコク在住時の通信教育に加えて、本帰国後に日本語教育能力検定試験※も受けました。思いがけずバンコクで就いた日本語教師の経験が、その後の人生の進路を決めたと言えます。

※日本語教師になるには複数の方法があるようです。参考:日本語教師ナビ

日本語教師

―本帰国された後に、大学院へ進学したのはどうしてですか?

タイの教育に携わる中で、子供たちが国民としてのアイデンティティを育んでいく過程が日本とはかなり違うことに興味を持ち、専門的に勉強したいと考えていました。加えて、海外の教育機関では就職の条件に大学院の修士号や博士号を課しているところが多いため、今後また海外で就職活動する際には大学院での学位が役に立つだろうという実利的な理由もありました。

大学院で学んだのは地域研究という学問分野です。これは国際関係を広く学びつつ、ある地域に特化してその地域の特殊性や普遍性を学び、社会問題を考えていくような学問です。研究者は、たいてい対象とする地域の言語を理解し、そこに一定期間住んだり頻繁に通ったりして長期的な調査をする必要があります。対象国での語学力や生活経験がすでにある私は、この研究環境に恵まれていたと言えます。バンコクの大学にも地域研究科があり、そこに通っている駐在妻もいましたが、私は夫の帰任時期が迫っていたことや師事したい教授が日本にいたことから日本の大学院を選びました。

受験の準備は、本帰国の時期に合わせて入学できるようにバンコク在住時から始めました。修士論文に必要な資料やインタビューを集める作業も帰国前に行い、入学後も調査のために数回タイを訪れました。大学院の勉強では、バンコクでの教師時代に得られたものすべて(生徒が書いた作文、同僚との会話、学校行事など)が研究のよい材料となり、経験を十二分に活かすことができました。

―バンコクでの経験が活かされたのですね。そして、大学院での学びが、今度はその後の海外生活でも大いに役だったとか。

そうですね、大学院で論理的な文章を書く技術を学んだことで、小論文を学術雑誌に投稿したり、コラムを新聞などに寄稿できるようになりました。この後にお話しますが、この時に身につけた視点やスキルが、後のブログや本の執筆には大いに役立ちました。今でも、地域研究に関する学会に所属して住んだことのある地域などの研究をしていて、これは一生続けたいと思っています。

中編へ続く

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