【メンバー座談会】TCK (Third Culture Kids) サードカルチャーキッズを語ろう! 〜子ども時代を海外で過ごした私たち〜 第1弾

シンガポールにある日本の私立高校の看板 アイキャッチ画像

TCKという言葉をご存じですか?
TCKとはThird Culture Kids (サードカルチャーキッズ) のことです。成長段階で両親の属する文化圏の外で過ごした子どもたちのことを指します。幼い時に異文化間を生きてきた子どもたちは、何を考え、何を感じてきたのでしょうか。

今回の座談会では5人の「元」TCKが、幼少期に海外での暮らしを通して得たもの、悩んだこと、両親への感謝などを振り返ります。TCK当事者でもあり、現在はTCKの子どもを持つ親の立場として、海外&帰国後の育児、子どもとの関わり方などを語りました。

参加メンバー紹介

Reiko

Reiko
・中学3年〜高校卒業までの4年間、シンガポールの日本人学校に通った元TCK
・シンガポールが好きになり、日本の大学を卒業後に現地で就職
・駐在同行で再びシンガポールに8年滞在、2021年〜スイス・ジュネーブ在住
・現在、子どもはインターナショナルスクールに通う7歳、現地の幼稚園に通う2歳半

えみーる

えみーる
・3歳〜8歳の頃、オランダ・アムステルダムの現地幼稚園、インターナショナルスクール、日本人学校に通った元TCK
・駐在同行で4カ月間中国に滞在、2022年に本帰国済み
・現在、子どもは5歳

つるまみ

つるまみ
・日本の高校のフランス校に2年間通った元TCK
・家族の駐在同行ではなく、自ら志願してフランスにある高校を選び渡航
・駐在同行でモーリシャスなど7カ国に滞在、2022年に本帰国済み
・現在、子どもはフランス・モンペリエに留学中の21歳

chocola

chocola
・小学5年〜中学1年までアメリカ・カリフォルニア州の現地校に通った元TCK
・駐在同行で6年間アメリカ・ジョージア州に滞在、2023年に本帰国済み
・現在、子どもは中学生

K

K
・小学1年〜6年までブラジル・サンパウロの日本人学校に通ったTCK
・駐在同行でスイス・ジュネーブに滞在、2023年に本帰国済み
・子どもは現地の幼稚園に通った4歳と、保育園に通った2歳

子ども時代に両親と海外で生活してよかったなと思うことを聞かせてください。

Reiko
事前に答えていただいたアンケートではみなさん共通して、最初は行きたくなかったけど実際に行ってみたらすごく楽しかったとのことですね。

えみーる
両親が現地の文化を真似して、家族で過ごす時間を大切にしていたことは自分の人格形成の面で良かったんだろうなと思います。私は一般的に「反抗期」といわれる時期も父親が大好きだったし、今も大好きです。その頃の関係性が良かったことが影響してるのかなと感じます。

chocola
日本では残業休日出勤が当たり前だった父親が、アメリカでは日本に比べると帰宅が早くなり、休日出勤も無くなったので家族で過ごす時間が増えたことです。働く時間が減ったからか、父親のピリピリ度が減って声をかけやすくなったのが一番印象に残っています。

Reiko
シンガポールに滞在中、父はゴルフ、母はテニスと、趣味の時間を持つ親を初めて見ました。人間らしい一面を見たというか、家族の人柄をより知る機会が増えたように思います。母はラジオ英会話を毎日聴いて英語の勉強をしていたりと、一生懸命な姿を見て尊敬していたし、今自分が子どもに見せるべき姿だなと思ったりします。

K
私の父はブラジル駐在中、平日は工場近くの寮で寝泊まりしていて、週末だけ家族と一緒に過ごしていたので、平日は母のワンオペで今思い返せばすごく大変だったと思います。土日は朝から晩までゴルフに行って、ご飯を食べて帰って。家族で仲良くエンジョイしていたなと思います。

Reiko
家族との時間の他に、学校などで過ごした時のことで良かったことはありますか。

K
日本人学校だったので、日本語が通じて当たり前の環境だったのはすごく良かったのかなと、今自分の子どもたちを見ていてすごく感じますね。ブラジルは日本人も多く、日本語だけでも暮らせるという点で、あまり日本の生活と変わらなかったと思います。今暮らしているジュネーブはまったく違って、学校も現地の言葉、日本語が通じないのが当然ということにギャップを感じています。

つるまみ
私は、東京で通っていた高校の付属のフランス校に自分から希望して行ったんですけど、周りは駐在のご家族ばかりでした。だからちょっと私とは環境が違う子たちと一緒に2年間過ごしました。全寮制なので、例えばミラノに駐在に来た家族で子どもだけ寮に入るとか。いろんな国から来てる子たちがいましたね。

Reiko
シンガポールの高校も同じです。近隣諸国の日本人学校を卒業した後、親は現地に駐在して子どもだけシンガポールの高校の寮に入る人が半分以上いました。私はシンガポールしか知らなかったから、同じような年頃でいろんな国で過ごした人がいるんだということを知れたこと、話が聞けたことは面白かったです。

chocola
私はアメリカに行って初めて体験したことがたくさんありました。例えば、スリープオーバー(お泊まり会)をしたり、アフタヌーンティーに連れて行ってもらったり、季節になったら庭の果物をみんなで取りに行ったり。それまで知らなかったことを経験できたのがすごく楽しかったです。

アルザスの広大なワイン畑の中にある校舎
辺りは広大なワイン畑しかない場所に校舎と寮(現在は閉校)。
当時はここで150人くらいの日本人が学んでいました。
アルザスの学校の外門から校舎、寮に続く道
学校の外門から校舎、寮に続く道。18時門限で何度走って戻ったことか、笑ったり泣いたり思い出の道です。

当時、ご両親にかけてもらってうれしかった&今でも覚えている言葉、両親にしてもらって感謝していることは?印象に残っているエピソードなどがあれば教えてください。

chocola
うれしかったのは、Machintoshを買ってもらったことです。シリコンバレーに住んでいたのでApple社が近く、学校のものもほとんどApple製でした。帰国後もMacに日常的に触れていて、仕事でIT配属になった時にわりと苦がなかったことにも感謝しています。

Reiko
私は振り返ると両親が駐在生活をすごくエンジョイしていた記憶が残っていて、自分も最初こそつらかったけど、また自分の意思で戻ってきたいと思えるほどポジティブなイメージを残してくれたことは有り難かったです。当時ボランティアや習いごとなどで充実した生活を送っていた母の姿は、今の自分にも良い影響を与えてくれていると思います。

えみーる
インターナショナルスクールに通っていたのでいろいろな国の人たちがいて、子どもながらに人種に対する偏見があったのですが、それを親がきちんと正してくれたことです。見た目や国や人種で、いい人悪い人と分けちゃいけないよ、と。私がオランダにいた時は湾岸戦争の頃で、あの子たちの国は悪い国だからあの子たちも悪い、というような短絡的な考え方を直してもらえたことは感謝しています。

K
現地じゃないと体験できないことをさせてもらったり、日本からは行きづらい中南米へ旅行で連れて行ってもらったことです。ブラジルは治安が悪くて一人で出歩くこともできなかったんですが、友だちの家に行く際について来てくれたこととか、今思えばそれほど不自由していなかったことも、両親がいろいろ配慮してくれていたからなのかなと思うと、感謝しかないですね。

つるまみ
何かあっても嫌な顔をせず、私の他愛のない話や涙ごとを全部聞いてくれたことと、自立を勧めてくれたことです。夏休みの旅行や語学学校も自分で決めさせてくれたので、一年目の夏はモンペリエ、二年目は一番綺麗なフランス語を話すといわれるトゥールのフランス語学校に通いました。ドイツのロマンチック街道、北欧、イギリスなど、地理で習って行ってみたかった場所を巡ったのも良い思い出です。
今自分が親になって分かるんですけど、子どもが一人でヨーロッパ旅行なんて不安だっただろうに、私の希望を尊重して見守ってくれた両親に本当に感謝しています。

アルザスで有名な街、コルマール
アルザスで有名な街、コルマール。かわいい木組みのおうちが並んでいます。学校からバスでたまに行くのがご褒美で楽しかった。
アルザス地方のワイン街道の美しい小さな村、Kaysersberg
学校から歩いて30分、アルザス地方のワイン街道の美しい小さな村、Kaysersberg。

本帰国後に苦労したエピソードはありますか?

つるまみ
私はフランスに行ったので英語が読めなくなったこと。自立を勧められたおかげで同じ学年の子たちとちょっとずれちゃったこと。いい意味で言われていたとは思ってるんですけど、やっぱり海外帰りだねと言われたり。最初はけっこう浮いていましたね。

Reiko
私は海外帰りというだけで英語をペラペラ話せると思われるのがつらかった時期がありました。もちろん英語での会話に対するハードルはすごく下がったと思うけど、親の都合でいやいや行った海外、しかも日本人学校というのもあって英語がそこまで入ってこなかったので。

chocola
私も語学の面では同じです。自分では流暢にしゃべっているつもりはないのに、発音だけは現地並みだったからしゃべれるように思われて葛藤がありました。
数学は、計算や解き方の細かい違いにはじめはついていけなくて大変でしたね。理科の進み具合や、社会は歴史も全然違うし。大変だった記憶は日本に帰ってきてからの方が多いけど、離れたのが2年だったので苦労もわりとすぐ取り返せました。長く海外の学校に通った人はもう少し大変なんだろうなと思います。

K
私は帰国後、同じ学年の子がすごく大人びていて驚きました。海外にいるとよくも悪くものびのび育って研ぎ澄まされないというか、自分が浮いてるなと思ったことを覚えています。授業中もブラジルでは、分かったら「はーい!」と手を挙げるのが当然だったのに、日本では当てられると面倒だから分かってても手なんか挙げないという雰囲気にすごくびっくりして。ついていくのが大変だったことを今も覚えています。

Reiko
無邪気ですよね、海外にいる子たち。日本にいる同世代の子はクールで達観してるなと私も感じました。日本に帰ってからは空気を読むようになりますよね、同調意識というか。

chocola
私も本帰国したのは中学校の時だったんですけど、帰る前に日本に帰ったらいじめられるよ、と言われてかなりビビりながら帰った記憶があります。

K
私も言われました。小学生がピアスの穴を開けるのもブラジルでは当たり前なんですけど、日本ではそれもいじめの要因になるから隠した方がいいよと言われて。実際に中高もピアス禁止の学校で大人しくしていました。ちょっとしたことをすごく覚えていますね。

Reiko
日本の流行についていくのが大変だったのもありますよね。流行りや周りの友だちに合わせなきゃいけないというようなプレッシャー 。

K
アニメ、音楽、ファッション、最初はついていくのが大変でした。流行りが何もわからず疎外感を感じたこともありました。祖母が日本の雑誌を数カ月に1回送ってくれて流行についていってるつもりではいたけど、海外にいると伝わってくる情報量も全然違って。

シンガポールの高校の正門をくぐり、校舎と寮へ続く廊下
正門をくぐり、校舎と寮へ続く廊下。
雨の日の部活動ではここを何往復も走りました。
シンガポールの高校の職員室前のピロティ
職員室前のピロティは吹きさらし。
校舎は風通しの良い常夏仕様でした。

ご自身の経験が、その後の駐在同行、日本に帰国後の生活や子育てにどのように活かされていますか?

Reiko
共通点を少しでも持たせてあげられたらと思いますよね。日本の某アニメはスイスでも人気でクラスメイトも知っているし、ありがたいことに現地でも手に入るので、これなら日本でも友だちとの共通の話題にできるかなと思って私も買ってあげたりしています。

K
無理に合わせなくてもいいんじゃないのかなとは思います。でも実際日本へ帰国した後、子どもが学校で疎外感を感じてしまったらやっぱりかわいそうだなとは思うので、それが分かる親としてはできる限りのことをしてあげたい。子ども用の雑誌を取り寄せたり、アプリでテレビ番組を見せたり、日本の環境になるべく近づけてあげようと努力はしています。

つるまみ
私は7カ国に駐在同行しましたが、いろんな人種がいて、それぞれ文化があるということを受け入れられたし、日本人だけで固まらず外国のお友だちも作りたいと思えました。
娘にも同じように視野を広げてグローバルな視点を持ってほしいと思っていたので、自分の経験からそれを伝えられたのは良かったです。

chocola
子どもたちには、アメリカへ行くからといって語学のことはあまり強く言いませんでした。自分自身が2年間では習得できなかったし、逆に2年だけでもその他のことが遅れるのを知っていたので、何年滞在することになるかというのをすごく気にはしました。まずはどこでも生きていける人になってほしい、日本以外の国もたくさんあることを知ってくれたらいいなぐらいのマインドでしたね。
子どもたちが自分と同じような年齢で過ごして、州によっても事情が違うということにも気付かされた2度目のアメリカ滞在でした。

Reiko
自分がしんどかったからこそ同じ道を通らせない、無理させない、あえてやめておくという取捨選択ができるようになりますよね。何でもかんでもやらせるというよりは。

chocola
あまり無理にプッシュはせず応援するぐらいの意識で。あとは自分がチューターをつけて もらったことが現地の知識を得るうえですごく良かったので、子どもたちにもチューターをお願いしました。学校の勉強だけでなく、日常生活のことや文化的なこともいろいろと教えてもらえて有り難かったです。親以外にいろいろな人と話せるようになっておくと視野が広がって、困った時にも聞ける人がたくさんいると思えたことは良かったかなと思います。

えみーる
私の両親は駐在中も帰国後も呪文のように、「いい経験ができてるね、ここに来てよかったね。」と言っていて。親が楽しんだり、いい経験をしたと暗示にかけることで私も楽しかった記憶にすり替わったようなところはあります。親が楽しむことも大事だなと自分の両親を見ていて思いました。親の選択が良くも悪くも子どもの人格形成に関わるから、その子がどんな子なのかよく見てあげてほしいと思いますね。

Reiko
当時の環境の変化は人生で一番つらかったと今でも思うけど、大きな試練を乗り越えられた自分ならこの先どんなことがあっても大丈夫、いずれそれを楽しめる日がくる、と今の駐在同行生活での苦労を前向きに変換できるようになっています。

K
自分の経験を振り返ってみても頑張ったなって思えるし、子どもにも頑張ったんだよって伝えてあげたいなと思いました。地域が違えばその苦労も違うので、本当によく頑張ったねと子どもを褒めてあげたいし、自分自身も褒めたいですね。

Reiko
子どもたち、本当に頑張っていますよね。大人になってからそれが良い経験だったなと思えるように育ててあげたいですよね。ただただしんどかった思い出だけではなくて。

つるまみ
絶対になりますよ。私の子どもも駐在同行で大変な思いはしたけど、その後自ら海外へ留学する道を選んでいるし、今も留学生活でまた苦労しながらも、「私の時はこうだったよ。」と親子で一緒に苦労話ができています。

chocola
子どもが今の自分と同じ年齢になった時、当時のことをどんなふうに話すのか今から楽しみです。私自身、日本に帰ってきて気付いたことがたくさんあったので、あの時の体験はここに繋がっているんだなとか、子どもたちの気付きを将来聞けたらいいなと思います。

シンガポールの高校の校舎と寮へ続く廊下と学生ホール
左の学生ホールでは、食堂として憩いの場になったり、始業式などの式典が行われたり、学園祭でライブをしたり。
ナショナルデーに全土を周回するシンガポールの国旗
National Dayにはシンガポールの国旗が全土を周回。30年前に感動したセレモニーは現在も続いています。

終わりに

Reiko
私たちが子ども時代に海外で過ごしたのはもう何十年も前のこと。取り巻く環境こそ変わったけれど、心の面や人間的な部分はきっと今でも変わらないと思います。TCKとしての経験を振り返り共有することで、現在を生きるTCKの子どもたちやその家族にとって生活のヒントになればうれしいです。ありがとうございました。

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