フィリピンのセブ島に3年滞在し、本帰国したMさんへのインタビューです。駐在ファミリーカフェへの参加と再就職のこと、お子さんの小学校生活への適応、本帰国後に感じた逆カルチャーショック、3年間の滞在生活で感じたことなどをお聞きしました。
自己紹介をお願いします。
Mです。2014~2017年の3年間フィリピンのセブ島に駐在同行していました。
本帰国からだいぶ経ちます。本帰国~今までの経過を教えてください。
本帰国を伝えられたのは、娘のインターナショナル幼稚園の卒園まであと半年という時でした。幼稚園入学のタイミングでセブにやってきたため、区切りの良い卒園まではいたいという気持ちがありました。学費も卒園まで支払い済みだったので、主人から会社にその旨を伝えたところ、配慮してくださり卒園まで駐在を延長してくださいました。
本帰国後は、持ち家に住みはじめました。家探しの労力はなく、家電なども置いてきたので購入する必要もなく、学区も良いところだったので、その点では楽でした。
その頃は、引っ越しと家族のことでいっぱいだったせいもありますが、あまりキャリアには興味がありませんでした。
その後半年して、子どもの小学校や生活の立ち上げが落ち着いてきたので、駐在ファミリーカフェの活動に携わるようになりました。
駐在ファミリーカフェではオンラインカフェを開催したり、同じく本帰国したメンバーと本帰国後のモヤモヤした気持ちを共有したりすることができ、私にとっての大事な居場所となりました。また、活動する中で仲間と目標に向かって1つのことを作り上げる楽しさや喜びを味わうにつれて、働きたい気持ちが出てきたので、業務委託での在宅ワークに登録しました。
娘が高学年になった頃にようやく外に出て仕事をしたいという気持ちになりました。お留守番ができるようになったのもこの頃です。
短期で大学事務などの仕事に就いてみましたが、最終的には独身時代にしていた英語講師の仕事を再開しました。
再就職に関して伺います。
最終的に英語講師のお仕事を再開されたのは、なぜですか?
自分の得意なこと、好きなことを考えた時にやはり英語だなと思いました。大学時代に英検準1級を取得し、英会話よりも英文法の方に自信があったからです。
また、その前に大学事務の仕事をしていて”英語を使う”と求人には書かれていたけれど、実際はほとんど使うことがないことに物足りなさを感じ、もっと英語を使う仕事がしたいと思いました。
独身時代には英語講師や航空会社でグランドスタッフの仕事をしており、どちらの仕事も人とコミュニケーションを取れることが楽しかったので、事務職より、人とコミュニケーションが取れる仕事の方が私には向いていると感じました。
今では英語講師としてのキャリアを再開させ、楽しんで仕事をすることができています。
逆カルチャーショックはありましたか?
また、どのくらいでその気持ちが薄れ、現在ではどんな心境でしょうか?
本帰国直後から、逆カルチャーショックに陥りました。数年間くらいは主人に「次の駐在はいつ?」とよく聞いていました。海外生活への未練タラタラでした。日本の細かさ、丁寧さがかえってストレスに感じ、早くまた日本を出たいと思っていました。
それでも3~4年経つと、あまり海外に行きたいと思わなくなりました。娘が小学校高学年になったからというのも大きいと思います。勉強面でもいろいろと難しくなってくる時期になり、娘は海外経験を経て、日本が一番いい!という考えなので、駐在同行を嫌がるだろうなぁと思ったからです。日本への適応もそれなりに大変だったので、また苦労をさせるのもかわいそうだなと感じました。
私の方も、すっかり日本になじみ、また海外生活をする気力がだんだんとなくなっていました。渦中にいる時は分からなかったのですが、海外生活ってかなりのエネルギーを使うと思います。
セブではメイドさんやドライバーさん、主人の会社の方々など、フィリピン人と直に接する機会が多く、最初は価値観の違いに驚きました。例えば、メイドさんが勤務初日にポータブルオーディオプレーヤーで音楽を聴きながら掃除をはじめたことです。「日本では考えられない!」とびっくりしましたが、今では「ちゃんと掃除できてれば別にいいよね」と思います。
フィリピン人と接するにつれて、誠実さや温かさも感じるようになり、今では日本人の真面目さを息苦しく感じたりします。セブの人々は陽気でおおらかで、みんな自分を大切にしています。日本人より幸せな面も多いと感じました。私が体調不良になれば、みんな親身に心配してくれたし、幼い子どもを抱えての海外生活を乗り切れたのもメイドさん、ドライバーさん、主人の会社の方々の支えがあったからこそだと今振り返るととても感謝しています。
お子さんの教育について教えてください。
校区の公立小学校に入学しました。セブでの卒園が5月だったので、日本の小学校1年生の入学は2か月遅れでの転入になりました。周りのお友達はそろそろ小学校生活にも慣れてきた時期でしたが、娘はカルチャーショックと小学校生活に慣れることでいっぱいいっぱいの様子で、登校しぶりもありました。初日からいきなり5時間目まで登校させていたので、2時ごろになると「長い~」と言って泣いていると先生から聞きました。親の私たちも生活の立ち上げでバタバタしていて長く預かってほしかったので娘には無理をさせてしまいました。しばらくは半日から慣らし登校をさせてあげれば良かったなと後になって思いました。
印象に残っているのは、娘が本帰国して半年以上は、時々名前を、名前・苗字の順で書いていたことです。また、咄嗟に「オーマイガー」など現地で使っていた言葉が口から出てしまって友達からからかわれたりもしていました(笑)。
それから、娘は日本での幼稚園経験がなかったため、親としては日本語の遅れがとても気がかりでした。この時、娘はダブルリミテット(2つ以上の言語を話すことができるが、どの言語も年齢相応のレベルに達していないこと)の状態だったと思います。年長さんの時、夏休みを利用して日本の幼稚園に3か月間体験入学をしていたので、まだなんとかなった気がしますが、それでも「ウィンドウがオープンしてる」のような日本語と英語が混ざったいわゆるルー語を話していました。日本語の語彙力を高めてもらいたいとの思いで、放課後も学童に行かせてお友達と遊ばせていました。2年生に上がる頃には日本語にもすっかり慣れ、学習や言葉の遅れも気にならなくなりました。
日本に本帰国して「英語しゃべらなくていいからいい(楽)」と言った娘。英語の勉強は嫌がりました。なんとかさせようとしたけど、やる気のない子に勉強させるのは疲れるため断念しました。今は中学生ですが英語の成績は良いです。幼少期の英語が役に立っているからなのかどうかはよく分かりません。あの時無理に頑張らなくて良かったと今は思います。
幼稚園時代をセブで過ごした娘ですが、本帰国してからすでに7年が経過したこともあり、セブでのことはほぼ覚えてないそうです。インターに通わせて英語に適応させることにもとても苦労したのに、英会話はほぼ忘れてしまっています。このくらいの年齢だと本帰国後、熱心に英語維持の努力をしなければ忘れてしまうと思います。
これから本帰国される方へメッセージをお願いします。
まぼろしだったかのように感じる駐在生活ですが、フィリピンで培ったさまざまな経験は自分の中に強く生きているとも感じます。自分の価値観が大きく揺さぶられるような経験は海外生活でないと味わえなかったと思います。
私は、海外駐在をしていて「早く日本に帰りたい!」という駐在家族に出会ったことがないです。そのくらい海外駐在というものはやはり”特別なもの”だと思います。その特別な時間を大切に過ごしてほしいと思います。