TCKという言葉をご存じですか?
TCKとはThird Culture Kids (サードカルチャーキッズ)のことです。成長段階で両親の属する文化圏の外で過ごした子どもたちのことを指します。幼い時に異文化間を生きてきた子どもたちは、何を考え、何を感じてきたのでしょうか。
今回の座談会では3人の「元」TCKが、TCKとしての自分の生い立ちを振り返ります。文化・言語・アイデンティティーを巡って、TCKとして素晴らしいと感じたこと、悩んだこと、落ち込んだりしたことをみなさんとシェアし、TCKだからこそ見えてきた世界、人生観について語ります。
第1弾の記事はこちらからご覧ください。
メンバー紹介
しおり
・小学3年生から6年生までスイス(ベルン)在住の元TCK
・当時はインターナショナルスクールに通った
・2018年から2020年まで上海に滞在し本帰国済
・現在、子どもは小学生と未就園児
質問① 子ども時代に両親と海外で生活してよかったなと思うことは?
しおり
良かったことは、家族と過ごす時間が長かったことでたくさんの思い出を共有していることです。
父の帰宅が日本で生活していた時より早く、夕飯を家族揃って食べたり、週末も家族で過ごすことが当たり前でした。今でも家族と当時の思い出をよく話します。
きら
私も家族と長い時間を一緒に過ごせたことです。はじめての海外に家族と一緒に行けたこともすごくありがたかった。例えば英語ができないなど悩みがあっても家に帰れば、日本語も喋れる。家では基本和食だったのでそういう面でも家族で行けたのは良かったです。
ちはる
私も家族の絆が深まったことです。そして今でも家族みんな仲良しです。それは家族で海外生活をしたお陰です。その当時の思い出も家族みんなで共通していることはいいですね。あとは、幼いながらに色々な場所へ旅行に行くことができました。とても濃厚な時間を過ごせました。
質問② 当時、ご両親にかけてもらって嬉しかった&今でも覚えている言葉は?両親にしてもらって感謝していることは?また印象に残っているエピソードなどあれば教えて下さい。
しおり
家族で旅行に行ったことはいろいろな文化に触れる自分の中で人生の財産になっています。また異文化に対する興味と視野が広がりました。当時、冬になると毎週末スイス国内の山に行ってスキーをしていました。母がおにぎりを握ってくれて。それをスキーのジャケットに入れ、寒い山の中でみんなで食べていました。今となってはより濃い思い出です。
きら
年齢的に中学2年生から高校2年生だったので家族と過ごすより友だちたちと過ごすことが多かったです。でも、友だちの家に遊びに行くとか習いごとの時などは、両親が心よく送り迎えをしてくれました。また、習いごとなどの費用も高かったと思うのですが何もそういう心配なく出してくれたことはすごくうれしかったです。
ちはる
私は小学校5年生~中学3年生までバンコクで、毎朝学校へ行くときに必ず母が「笑顔でね!」と声掛けてくれ、握手をしてから登校していました。母がかけてくれる言葉と握手が私の「活力」でした。また、母はいつも朝早くからお弁当を作ってくれていました。その当時は、バンコクも日本食材が少なかったのですが、その中で、お弁当作りをしてくれたことに感謝しています。また、私も駐在同行をする親となり子どもたちにお弁当を作っていましたが、自分も経験したからこそ母への感謝の気持ちがより一層深まりました。
質問③ 本帰国後に苦労したエピソードはありますか?
しおり
私は小学校6年生の2学期に本帰国しましたが、日本の学校に馴染むのに時間がかかりました。
特に驚いたことや苦労したことは、
・体育の時間に更衣室がなく男女一緒に教室で着替え始めたこと
・スイスでは友だちには名前で呼ばれ、ハグしてあいさつしていましたが、日本では苗字に「さん」付けされることに距離感を感じたこと
・当時、「モー二ング娘」が流行っていて、踊れないと仲間にいれてもらえなかったり、みんなと同じものを好きにならないといけないと思い、みんなに合わせていたこと
でも、何かあった時に「海外に行けば別にどってことないよ!」と客観視できる自分がいました。日本では、これが普通だけど、もう1人の私は違うとこにいるんだと居場所や逃げ場所みたいなのがありました。日本で友だちが出来なくても海外には友だちがいるんだぞ!という気持ちでした。
きら
はじめの駐在同行の時は、小学校1年生から小学校3年生で日本人が多い地区に住んでいました。その当時は月曜日から金曜日まで現地校に行って、土曜日は日本語補習校に通っていたので日本に帰った時も、普通に日本の生活に馴染めたこともあり、苦労した記憶はありません。
また、本帰国後はアメリカ同行する前に住んでいたところに戻り、当時仲良くしてた友だちもいたので安心でした。
2回目の駐在同行の時は、高校2年生で本帰国になり高校3年生の1年間は日本の高校へいきました。帰国生を受け入れる学校として作られた中高一貫校に行ったので特に苦労はなかったですが、ただ反対に言うと個性が強すぎる子たちが多かったです(笑)
しおり
当時は帰国子女が珍しかったので「英語喋って!」と友だちに言われ喋ったら「何?自慢してんの?」とお決まりのパターンで言われました。異質を嫌うような風潮がありました。
そのため、帰国子女受験をしました。通った中学校は帰国子女学級だったので、そこでようやく自分を出すことができました。
ちはる
本帰国先は初めて住む愛知県でした。当時は海外からの転校生が珍しかったので最初は少し有名人になっていましたが、学校生活や友だち作りに苦労はしませんでした。
質問④ ご自身の経験が今の駐在同行生活にどう活かされていますか?
しおり
海外生活となった時に、経験があるので「どうにかなるよ!」と前向きに考えられるようになりました。また、その国の文化にギャップを感じることも理解し覚悟ができているので大変なことも過剰に反応せず普通に対応できます。これは、後でネタになるだろうなと前向きな気持ちでいられました。
きら
私は幼少期アメリカに住んでいて、再びアメリカへの駐在同行だったので文化などを知った状態で渡航できました。子どもの勉強のことなども理解していたので大変助かりました。英語も日常会話は問題なく話せるので、例えば、ママ友や先生とのコミュニケーションを取りたい時もすぐに話ができます。そういう面では子どもの気持ちにいつも寄り添ってあげられることはとても強みになっています。
ちはる
私は、幼少期に駐在同行していた同じ場所に再び行くことになったので母国に帰るような感覚がありました。あとは、家族一緒なので「どこでも!大丈夫!精神」で常にいられることです。我が家も海外経験をしているので家族の絆が強いですね。今後、主人の海外転勤の可能性があっても息子は「パパと一緒にいたい!」というので、駐在同行先にもよりますが基本的には「家族一緒がいいね!」と言ってます。私の両親も単身赴任をすることなく常に家族一緒だったので、私も家族一緒がいいなと思っています。
質問⑤ 幼い時の駐在同行中の友だちとの絆はどうですか?
しおり
家族ぐるみで日本人家族と仲良くしていて帰国した後も今でも家族ぐるみで仲良くしてます。友だちとの深い絆を感じます。
きら
私は補習校の友だちと仲がいいです。かれこれ20年、30年経ってますけど今でも会います。当時の中学生や高校生ぐらいの時に戻った感じで話せるので大変落ち着きますね。
ちはる
私も友だちとの絆が強いです。今でも繋がっている友だちが多いです。また同い年の日本人学校のみんなで同窓会もしています。20歳・40歳と同窓会を開催して盛り上がりました。今年も同窓会をしよう!と企画しています。
座談会の感想
しおり
共通点がたくさんあり、お話できてとても楽しかったです!それぞれ住んでいた地域が違っても、当時感じていたことや経験していることが似ていたことが大変興味深かったです。大変だったことも楽しかったことも、貴重な経験を分かち合えるってうれしいですね!
きら
「帰国子女」という共通点がある方々と赤裸々にお話する機会ができて、とてもよかったです。同じ経験をしたからこそ本音で話すことができました。
ちはる
当時のたくさんの思い出が蘇ってきましたし、たくさんの共通点があり貴重な経験をさせてくれた両親に本当に感謝しています。
終わりに
私たちが子ども時代に海外で過ごしたことが、自分の人生に何をもたらしたのか、参加していただいたゲストのみなさんが大人になったからこそ、見えてきたものがあるはずです。これからTCKの子どもたちが大人になってTCKとして育ったことが強みになってくれることを願っています。