シンガポールに2年4カ月滞在し、本帰国したSさんへのインタビューです。本帰国が決まってからのスケジュールや行ったこと、再就職やキャリアチェンジのこと、お子さんたちの様子などをお聞きしました。
自己紹介をお願いします。
Sです。2019年9月~2022年1月までの2年4カ月、シンガポールに滞在していました。夫と子ども2人の4人家族です。本帰国時、娘は小学校入学直前の6歳、息子は年少に進級する手前の3歳でした。
本帰国時のスケジュールを教えてください。
夫の帰任時期が6月だという内示を、半年前に受けました。夫と同時に本帰国すると、4月から新一年生になる娘が入学2カ月で転入することになります。
それでも問題はなかったのですが、夫とも話し合い「せっかくなら小学校の入学式に出席させてあげたい」「日本の新学期から入学させてあげたい」という理由から、自ら母子3人での先行本帰国を決めました。
以下の事由を加味して、1月中に本帰国することに決めました。
- 本帰国してから新学期の準備をしたかった(まだランドセルも買っていませんでした)
- 日本に慣れる期間を少し設けたかった
- コロナ禍の水際対策で2週間の隔離期間があった(2022年1月時点)
本帰国が決まって感じたことや、行ったことを教えてください。
自ら本帰国時期を決めたとはいえ、「まだ全然日本に帰りたくない」という気持ちでした。振り返ればちょうどコロナ禍のシンガポール生活でしたが、それでもとても充実した日々を送ってきた実感があったからです。
当時の気持ちを日記に書いていたのですが、こんな風に書いてありました。
【本帰国3カ月前】
・とにかく帰りたくない
・ハード面のモヤモヤ(車の運転必須、子どものアトピー再燃の不安など)
・日本へ戻って、また「みんな一緒」という環境やそれを推奨する学校教育への疑問
・でもいざ帰ったら、持ち家にそのまま帰るので、シンガポールに行く前の日本での生活に何事もなかったかのようにすんなりと慣れてしまうのではないかという悲しさ
【本帰国2カ月前】
子どもの保育園(認可外)確保。
以前上の子が通っていた保育園に2人とも入園できる見込みとなる。上の子は小学校入学前の2カ月間だけだけれど、知っているお友だちのところへ帰れることに。(2回卒園できるってなかなかないかも!)
園の先生や、他のお母さんたちからも「帰りを待ってるよ~!」「会えるの楽しみにしてるよ!」とポジティブな言葉をたくさんもらい「帰ってもいい!」と思えた。日本の中でも見知らぬ土地に帰任する場合はきっとすごく大変だと思う。
「私は元のところへ戻れるだけありがたいのかも」と知る。
【本帰国1カ月前】
本帰国するからと最後にいろいろなお誘いを受けたり、行きたいところに行きまくり、食べたいものを食べまくった1カ月♪
ちょっとでもやってみたいなと思っていたことが次々に実現し(実現させ)、気づかぬうちに意外といろいろな関係を築けていたことがうれしくてまた帰りたくなくなる……。「本帰国」というイベントがなければ実現しなかった”いろいろ”だったかもしれないけれど、この1カ月はとてもとても楽しかった!感謝・感謝・感謝の日々。
子どもたちも無事にローカル園を卒園・退園し、やり残したことはない!と感じられるくらい。
やり残したことはなかったとしても、やっぱりシンガポールを離れるのが寂しく感じられる。
この数カ月間で気持ちが揺れ動いていたことがよくわかります。後ろ髪を引かれながら、本帰国したという感じでした。

逆カルチャーショックはありましたか?
日本に残してきた自宅に戻ったということもあり、私の場合そこまでの逆カルチャーショックはありませんでした。シンガポールに来る前の生活にすんなり戻ったというイメージです。
確かに、細かい部分で違いを感じることはありました。日本はゴミ出しの分別が細かくて、すべて一緒に捨てるシンガポール生活からすると少し面倒だったり、あちらではすべて公共交通機関で簡単に移動できていたのに、帰任地は地方なので車を運転しなくてはならなかったり。
でも、どれもすぐに慣れてしまって、むしろ、あまりにもすんなりと日本に慣れてしまう自分に悲しさを覚えたほどでした。
日本を外から見る経験をして、還元することがきっとあるはずなのに、シンガポールで学んだことは一体何だったのかと思うこともありました。
でも、ワンオペにもかかわらず大きなストレスなく本帰国し、順調に新生活を開始できたことをポジティブに捉えるようにしました。
お子さんたちの様子はいかがでしたか?
子どもたちの方が、面白い行動をとっていたと思います。
玄関の概念がない
シンガポールでは「玄関」という概念がなく入口からずっとフラットな家に住んでいたため、日本では玄関の靴置き場に座り込んで靴をはく子どもたち。
座るなら上がり框(かまち)に座って靴を履いてほしいし、きちんと靴を脱いでから家に入ってほしいと教えました。
裸足で庭にかけていく
シンガポールは南国ですから、幼稚園でもひたすら平気で裸足のまま外に出て行く習慣でした。先生たちもよく裸足で園庭に出ていましたし。シンガポールは公園でも裸足で遊んでいる子が多かった印象です。
そのままの感覚でいる子どもたちは、平気で裸足のまま外に出て行きます。本帰国したのは冬真っ只中で、そもそも寒くて足が冷たいし、裸足では危ないです。きちんと靴を履いて外に行くように言いました。
四季の感覚がない
外出時、子どもたちは「みんな木に葉っぱがないね……」と言っていました。確かにシンガポールには葉っぱのない木は、ほぼなかったような。四季の感覚がなかったのだと思います。
息子に至っては0歳で渡航したため、人生で初めての長袖を着て、一生懸命袖をむしり取ろうとしていたのが可愛かったです。「寒い」という感覚も、まだ彼の中にはなかったのではないでしょうか。
「今、日本は冬だからね。春になったらお花も咲くし、夏になったらもっと緑になるよ。」とフォローしておきました。
子どもたちにとっては、日本は故郷ではなく「日本=独特の国」という感覚だったのかもしれません。
再就職、キャリアチェンジに関してはいかがでしたか?
本帰国に際して、ご自身のライフキャリアをどのように考えましたか?
私は日本では、新卒から大手企業に勤めていて、会社の休職制度を利用してシンガポールへ同行しました。しかし、当時本帰国後のキャリアについて非常に悩んでおり、滞在中にタイミングよく希望退職の募集があったことから、退職する決断をしました。
悩んでいた理由は、子どもの年齢を考えると、本帰国後、子どもがいなかった頃と同じような働き方は、物理的にできないと感じていたためです。次に何かやりたいことがあるからというポジティブな理由ではありませんでしたが、今はこの決断を自分で正解にできていると思っています。
本帰国に際して、就職に関する準備はいつ、何から始めましたか?
せめて滞在中に下準備だけでもしておこうと、本帰国半年ほど前に履歴書と職務経歴書の準備をしました。転職活動をしたことがなかったので、そのような基本的な書類もまったく持っていない状況でした。
有料のキャリアコンサルティングのセッションをネットで調べ、唐突に申し込んで、話を聞いてもらったりキャリアコンサルタントさんに書類の作成を手伝っていただいたりしました。
こうしてプロの方とお話しする中で、本帰国前には日本に帰ったら「フリーランスになってみようか」という漠然とした方針が見えていたと思います。
本帰国してから働き始めたのはいつですか?
20箱あったダンボールを荷ほどきして、子どもが保育園(認可外)に通いだし、家の中もなんとなく落ち着いたため、本帰国して1カ月経った頃、求職活動をスタート。そこから3カ月後に、最初の業務委託の仕事を開始しました。
専業主婦で本帰国して不安もありましたが、人材会社を通して業務委託の仕事を1つご紹介いただくことができて自信がつき、まだ時間に余裕がありそうだったので、さらにもう1つ自分で応募した業務委託の仕事も始めることができました。
周りから見たらスモールステップかもしれませんが、私にとってはフリーランスとして踏み出した大きな一歩。開業届も出して、無事に個人事業主となりました。
本帰国して3年が経とうとしている今、様々な方たちや案件と出会ったり別れたりしながら、今のライフスタイルに合う形でフリーランスとして一歩ずつ成長できていると思います。
最初は子育てとの両立のため、在宅でできるリモートワークの案件にしぼって仕事をしていましたが、フリーランスになって1年経ったころ、地元にも貢献したいと出社のある仕事にもチャレンジし、継続しています。出社は月1~2回程度ですが、対面でミーティングをしたり、たまに会食があったりするのも楽しいです。
フリーランスになってみて、日本ではまだ正社員として働く方が収入が安定し、多くのメリットがあると思われがちですが、今は正社員の求人を見てもときめかなくなった自分に気がつきました。自分の時間を自分でコントロールできる裁量、仕事を選べる自由、子育てとのバランス。休み明けに仕事が嫌だなと思うこともなくなりましたし、今はこの働き方が非常にマッチしていると感じています。
これから本帰国される方へメッセージをお願いします。
海外赴任に同行したことで、今まで出会わなかったような人たちや世界に触れる機会を得ることができました。シンガポールでの2年4カ月の経験は、私の人生の宝物です。
本帰国に向けて不安に思うこともたくさんあると思いますが、どんな選択も自分で正解にしていく気持ちを持って、その時その時の想いやご縁を大切にしながら、これからもしなやかに人生を歩んでいきましょう。


