「仕事=人生」だった私が、駐在同行で変化した“ライフキャリア”という価値観

海外駐在への同行は、これまで築いてきたキャリアや働き方を、一度見直すきっかけになることがあります。
特に仕事にやりがいを感じ、自分らしくキャリアを積み重ねてきた人ほど、その選択に大きな葛藤を抱えることも少なくありません。
今回はベトナム・ハノイへの駐在同行を経験されたCさんに、同行前の葛藤やコロナ禍での渡航延期、現地での活動、駐在ファミリーカフェとの出会い、一般社団法人の設立、そして本帰国後に変化したキャリア観についてお話を伺いました。
駐在同行前の葛藤
── 自己紹介をお願いします。
2022年から2026年までの4年間、ベトナム・ハノイに滞在していました。子どもは二人います。駐在同行前は、メーカーの営業部門で働いていました。新卒から20年以上勤めていて、いろいろな業務を経験してきました。
── 駐在同行が決まったときどんなお気持ちでしたか?
正直、葛藤しかなかったです。もともと夫は海外転勤の可能性がある仕事だったので「いつか行く」とは言われていました。でも私はずっと働いていたので、心のどこかで「自分は日本に残るだろう」と思っていました。
夫に海外転勤の辞令が出たのは、育休からの復帰後、今後のキャリアを考え、自分から会社に「フルタイムに戻ります」と申し出て、時短勤務からフルタイムに戻した直後のタイミングでした。
当時の私は「会社で成果を出して認められ、社内でステップアップしていくこと」が人生の軸でした。それが当たり前であり、大きな意味での正解だと思って生きていました。会社が自分のアイデンティティー形成に大きく関与した場所でもあったので、その場所を失うことが本当に怖かったです。
「なぜ夫のキャリアのために仕事を辞めなきゃいけないんだろう」「私が積み上げてきたものや、人生はどうなるんだろう」と思っていました。
── 仕事を一度手放すことに対して、不安や葛藤はありましたか?
不安しかありませんでした。夫に単身赴任してもらうか、本当に悩みました。
また、年齢的にも、一度仕事を辞めたら同じ環境に戻るのは難しいということも想像できました。
一方で、子どもと夫が離れて暮らすことや、自分一人で息子二人を育てながら働き、生活を回していけるのかという不安もありました。
勤めていた会社には当時、帯同休職制度や復職制度がなかったため、最終的には2021年7月に退職しました。今振り返っても、「前向きに決めた」というよりは、悩みに悩んだ末の、“他に選択肢のない中で下した苦渋の決断 ”だったと思います。
「夫婦で決めたこと」という形ではありましたが、私の中にはずっと違和感が残っていました。
夫は新しい環境での挑戦を前に忙しく準備を進めていて、どちらかといえば前向きな状況でした。一方の私は、これまで築いてきたキャリアや居場所を手放そうとしている……。
同じ駐在という出来事に向き合っているはずなのに、見ている景色がまったく違うように感じていました。
この葛藤を誰に話したらいいのかも分からず、納得しきれないまま時間だけが過ぎていくような感覚がありました。
コロナ禍と“暗黒期”
── その後、コロナ禍で渡航延期もあったそうですね。
はい。会社を退職した後、すぐには渡航できませんでした。
「いつ行けるかわからない」という状態が半年以上続いて、精神的にもかなりきつかったです。子どもたちも学校へ行けず、ずっと家にいる状態でした。
不確定なことが多すぎて、かなりメンタルが落ち込んでいた時期でしたね。
── その期間はどのように過ごされていましたか?
「やることがない」と思って、日本語教師の資格を取りました。本来は1年ほどかけて取得する資格なんですが、「今しかない」と思って、かなり詰め込んで勉強しました。その他にも、キッズコーチング、家族療法士、子供心理カウンセラーなどの資格も取得しました。
「何か肩書きがないと不安」という気持ちも大きかったと思います。
その後に会社と現地側の受け入れ体制が整い、日本人学校への通学ができる状況だと確認できたので、2022年4月にようやく渡航することができました。
── 実際にハノイでの生活が始まってからはいかがでしたか?
最初の半年は「東京に帰りたい」とずっと思っていました。急に専業主婦になって「仕事がない自分」を受け入れるのに時間がかかりました。子どもが学校から帰ってきた後に何をしたらいいのかも分からなくて。ずっと保育園や学童に預けて働いてきたので、「夕方前に帰ってきた子どもとどう過ごせばいいんだろう」と怯えていました。
── 同行中、ご自身のキャリアについて考える時間はありましたか?
ありました。現地採用として声をかけてくださった企業もあり、条件自体も決して悪くなかったんです。ただ、夫の会社の制度との兼ね合いで、私が働くことで住宅補助や子どもの学校補助がなくなってしまう可能性がありました。そうなると、「何のために駐在に同行してきたんだろう 」という話にもなってしまって。
最終的には、仕事にかかる時間や労力と生活とのバランスを考えて、諦めることにしました。
当時はまだ「また会社員として元のように働けるんじゃないか」という気持ちをどこかで引きずっていたんだと思います。
── そこから気持ちはどのように変化していきましたか?
2年目くらいから、少しずつ変わっていきました。「働くこと」を考え始めると苦しくなるので、逆に考えないようにしていた時期もあります。
でも、専業主婦コミュニティの中で過ごしていくうちに「こういう生き方もあるんだな」と思うようになりました。そして「見習ってみよう」と思えるくらい思考が柔らかくなってきました。
今までの私は、会社という狭い世界の中で、「会社の価値観=正しい」と思っていたんですよね。でも、駐在同行を通して、本当にいろんな人と出会いました。
仕事をしていたら絶対に出会わなかった世代の人や、専業主婦を“スペシャル”にこなしている人、海外の人たち。「自分の考え方ってすごく凝り固まっていたんだな」と気づきました。
そこからは、「この時間はもしかしたら自分の成長に繋がるかもしれない」とポジティブな意識を持つようになりました。
現地での活動
── ハノイでは日本人向けのダンススクールの立ち上げにも関わられたそうですね。
そうなんです。最初は完全に「自分が楽したいから」でした。子どもが習いごとをするにも、交通事情が大変で……。
住んでいるエリアの近くにダンススクールがなかったので、「だったら作っちゃえばいいんじゃない?」と思ったんです。
もともと別エリアにあるスクールに1年間通っていたので、先生に「こっちでもやってくれませんか?」と交渉しました。仲間を集めて、「1年やって人が集まらなかったらやめるから」とお願いして始めたんです。今ではかなり大きなコミュニティになっています。
── 行動力がすごいですね。
本当に「自分が楽したい」が原動力でした(笑)。ただ、結果的に同じように困っていたお母さんたちの役にも立てたし、異国の地で日本人をまとめていく難しさ、コミュニティ特有の事情など勉強もできたのでとても貴重な経験でした。そこで出会った人たちと練習や発表会を乗り越えられたことは本当に楽しくて、かけがえのない仲間になりました。
── コロナ禍で取得された日本語教師の資格は、その後どのように活かされましたか?
ハノイでは、日本人のお父さんとベトナム人のお母さんを持つ子どもたちに向けた日本語学習ボランティアに関わっていました。
子どもたちは普段ベトナム語を使うことが多く、日本人のお父さんとのコミュニケーションが難しくなることもあるそうで、「日本語で話し相手になってほしい」と依頼をいただいたことがきっかけでした。
結果的に、現地の子どもたちとつながる貴重な機会になり、日本語教師の資格を取得して良かったと感じています。
── 同行生活だからこそ得られた経験や気づきは何だったと思いますか?
一番大きかったのは、人間関係の広がりだと思います。
会社員時代は、どうしても「仕事」を通じた人間関係が中心でした。同じような業界や価値観の中で過ごすことが多かったんです。
でも、キャリアを一度手放し、駐在同行をしたことで、今までとはまったく違う世界を知ることができました。本来なら出会うことのなかった世代やバックグラウンドを持つ人たちと関わる中で、「こうじゃなきゃいけない」という固定観念が少しずつ崩れ、「こんな考え方もあるんだ」と気づかされることが本当に多かったです。
それは今後の人生において大きな学びだったと思っています。
今までの経験とは種類の違う経験を積めたことで、物事を多角的に考える力や、相手や状況に合わせて対応する力も広がったように感じています。
駐在ファミリーカフェとの出会い
── 駐在ファミリーカフェ(以下:団体)との出会いについても教えてください。
駐在ファミリーカフェとの出会いは、駐在同行が延期になった時期でした。
「何をしたらいいのかわからない」と感じながら、「駐在妻」と検索していた際に、駐在ファミリーカフェのWebサイトを見つけ、メールを送ったことがきっかけです。
その後、当時の代表の方に声をかけていただき、ボランティアとして活動に参加するようになりました。
実際に参加してみると、メンバーの皆さんがそれぞれのスキルをフル活用していて驚きました。能動的なやり取りや会社のような雰囲気があり、「ここに自分の居場所ができた」と感じました。
その後は、団体の法人対応も任されるようになり、業務委託という形で約2年間、企業とのやり取りや営業などにも携わりました。
団体運営と法人設立
── 一般社団法人駐在ファミリーサポート協会1(以下:協会)を設立することになった経緯を教えてください。
当時の団体の代表が不在になったことをきっかけに、「この活動を今後どうしていくのか」をメンバーみんなで考える時期がありました。
企業とのつながりもあった中で、「ここで活動の場がなくなってしまうのは違うのではないか」という思いが強く、法人対応を始めた頃から一緒に活動していたメンバーとともに、一般社団法人を立ち上げることになりました。
また、サポート企業が協賛という形で後押ししてくれたことも、大きな支えになりました。
── 設立までの過程で、特に大変だったことはありますか?
団体の方向性を模索していた時期は特に大変でした。 当時は、活動を今後どう続けていくのかについて何度も話し合いを重ね、Zoomミーティングで意見がぶつかることもありました。
また、決まりかけていた企業との商談が頓挫してしまい、直接お詫びに伺ったこともあります。
法人ではあるものの、活動のベースはボランティアなので、それゆえの難しさを感じました。
それでも、「きっと私たちと同じように、キャリアに悩みながら駐在同行する人がいるはず」という思いがありました。
そして、そのような人たちがつながれる場所や活動の場を残したいという気持ちは、メンバー全員に共通していたと思います。
「私たちの活動を通じて、駐在同行やキャリアに対する価値観が少しでも広がり、次の世代の選択肢を増やせたら。」、そんな思いがあったからこそ、困難な時期も前に進むことができたのだと思います。
── ボランティア活動や協会設立の経験を通じて、どんなやりがいや学びがありましたか?
仕事のように対価が明確なものに比べて、ボランティア活動は人に対する思いやりも自分の情熱も10倍必要だということを感じました。
また、一番大きかったのは、「価値観の違いを受け入れること」かもしれません。
私たちの団体にはいろいろな経験をしている人がいて、住んでいる場所も、年齢も、背景も、時間帯も本当にバラバラです。だから、“当たり前”や大切にしているものも人それぞれなんです。
そんな中で信頼関係を築き、関係を継続していくには違いをネガティブに捉えるのではなく、「違いを前向きに受け入れる姿勢」が大切なんだと学びました。
これは駐在同行を通して、自分の中で本当に大きく変わった部分だと思います。
また、団体のメンバーには、同じような状況を経験し、それを乗り越えてきた人も多くいました。だからこそ、「気持ちを共有できること」が大きな心の支えになっていました。
── 現地での生活や子育てと活動の両立で工夫していたことがあれば教えてください。
一番大切なのは、周囲にきちんと想いを伝えて、理解を求めることだったと思います。
特に、協会の活動を続ける上では夫の理解が不可欠でした。日本へ出張に行くこともありましたし、客観的に見ると「何をしているんだろう」と思われても不思議ではない状況だったと思うんです。
だからこそ、「私はどういう想いで同行していて、なぜこの活動をしているのか」を、きちんと言葉にして伝えるようにしていました。夫は「やりたいことはやればいいよ」と応援してくれたので感謝しています。
お互い忙しかったですが、意識的に会話の時間を作るようにもしていましたし、子どもたちにも活動について説明していました。
また、現地ではママ友に本当に助けてもらっていました。みんなの助けがあって活動が成り立っていたのだと思います。
本帰国後に変化したキャリア観
── 本帰国後、働き方やキャリア観に変化はありましたか?
面白いくらい変わりました。今は「ライフキャリア」という言葉がすごくしっくりきます。以前は「仕事=人生メイン」だったんですが、今は「人生のほんの一部が仕事」という感覚です。もちろん仕事は大事です。収入も必要。でも人生って、それだけじゃないな、と。
駐在同行で、一度自分の立ち位置をガラッと変えたことで、考え方や価値観の引き出しが本当に増えたと思います。
また、協会の立ち上げに関われたことも大きな経験でした。
これらの経験は、お金を払っても得られないものだったと感じています。
── 今のご自身が大切にしている価値観はありますか?
「自分の中の常識を少し立ち止まって見直してみること」を意識するようになりました。
時代もどんどん変わっていますし、昔の当たり前は今の当たり前ではないかもしれません。
何かにぶつかった時も、「別の考え方もあるかもしれない」と柔軟に捉えることを大切にしています。
また、誰かの選択が正解だからといって、自分にも同じ正解が当てはまるとは限りません。 隣の人がやっていることが正解でもないし、自分には自分の選び方があります。
そんなふうに、自分らしい選択を大切にできるようになったのも、駐在同行を通して得られた大きな変化の一つだと思っています。
── これからどのような働き方やキャリアを築いていきたいと考えていますか?
これからは、健康寿命とも向き合いながら、「自分が本当にやりたいこと」に時間を使っていきたいと思っています。
もちろん会社員という働き方は、気持ちの面でも収入の面でも安定がありますし、現実的にはすごく堅実な選択だとも感じているので、いいお話がきたら戻るかもしれません(笑)。
ただ一方で、限られた人生の時間を、ただ仕事に注ぐためだけに使い続けることには、以前より違和感を持つようになりました。
なので今は、安定を求める気持ちと、自分らしく挑戦していきたい気持ち、その両方の間で揺れながら模索している段階です。この活動も含めて、“自分なりの形”でキャリアを積み重ねていけたらいいなと思っています。
── 今後、具体的に挑戦してみたいことはありますか?
新しいことへのチャレンジとして個人での起業、フリーランスにも挑戦してみたいと思っています。
実は今、ベトナムで出会ったろう者の方たちが作っているポーチやバッグを、商品として届けられないか考えています。
現地では、ろう者の方々が裁縫の仕事をしていましたが、丁寧な手仕事や高い技術を持ちながらも、その価値が十分な対価や販路につながっていない現状を知りました。
帰国時に、送別品としてポーチやバッグの制作をお願いしたところ、とても素敵な作品を仕上げてくださいました。
「これはもっと多くの人に届けられるんじゃないか」と感じたんです。
私は昔から、「ものを作ること」や「仕組みを作ること」が好きなんですよね。
ゼロからイチを作って、それが形になってきたら、今度は誰かにバトンを渡していく。
どちらかというと、そういう役割が好きなんだと思います。
もちろん、今後また会社員として働く可能性もあるとは思っています。
ただ、以前のように働くことだけを中心にするのではなく、もっと柔軟に働ける環境を大切にしたいと感じています。
── 今後、再び駐在同行をする可能性はありますか? その際はどのように考えていますか?
可能性はあると思っています。ただ、実際に同行するかどうかは、赴任先の国や子どもの学校環境によると思います。
子どもたちが安心して学校に通えて、安全に暮らせる環境であれば、私はまた付いていくと思います。
次に同行することがあったら、その時は個人的な仕事や活動を持ちながら、自分なりのキャリアを続けていきたいと思っています。
── 今後、駐在家族向けに発信していきたいことや挑戦してみたいことがあれば教えてください。
駐在家族には、日々たくさんの「困った」があります。実は、その多くは駐在妻や駐在夫と呼ばれるパートナーが、見えないところで試行錯誤しながら支えていることで成り立っている部分も大きいんです。
だからこそ、そうした不安や困りごとを少しでも解消できるような発信を続けていきたいと思っています。
また駐在員本人や企業の方々にも、同行する家族がどのような現状に置かれているかを知ってもらうきっかけを作れたらいいなと考えています。
そして、これは少し大きな話かもしれませんが、自分自身がキャリアに悩みながら同行した経験があるからこそ、「駐在同行中もキャリアを心配しすぎずに済む環境」がもっと整っていってほしいと思っています。
駐在同行をきっかけにキャリアを諦めるのではなく、その人らしい選択肢を持ちながら海外生活を送れる社会になっていけばいいなと思いますし、そのために私たちの活動が少しでも力になれたら嬉しいです。
── 最後に、これから駐在同行を控えている方へメッセージをお願いします。
何を大切にするかは人それぞれなので、一概には言えません。でも、もし迷っているなら、私は「チャレンジしてみること」をおすすめしたいです。
キャリアって仕事だけじゃない。駐在同行を通して、一生の友達や経験に巡り会えるかもしれません。
価値観の多様性を知ること、自分の「当たり前」を見直してみること。
そういう経験は、きっと人生にとって大きな財産になると思います。
人生の宝探しのような感覚で駐在に出てみては?と思います。
運営メンバーChihiro駐在同行は、キャリアを止めることではなく、新しい価値観や可能性に出会う機会なのかもしれません。Cさんの経験と言葉が、これから駐在同行を迎える方の背中をそっと押してくれることを願っています。


- 一般社団法人 駐在ファミリーサポート協会は、駐在ファミリーカフェを運営する法人(https://czsupport.or.jp/) ↩︎


