【帰国後インタビュー vol.2】家族で体感してきた海外での生活、その経験を生かせるキャリアとは?

2か国の帯同生活を経て、現在は「アットホーム留学」のティーチャーとして活躍されているスズノキエミさん。帯同中のお話、またティーチャーを目指すに至った経緯などについてお話を伺いました。

ースズノキさんが教えている「アットホーム留学」とは、どういうものですか?

「アットホーム留学」とは机上で学ぶ英語ではなく、ママやパパが英語の ”楽しさ” の先生になり、各ご家庭で親子の会話(英語・日本語)を通じて「コミュニケーションのための英語」を身に付けていくとは何か?、を大人が学ぶためのものです。

少しずつでいいので親子で楽しみながら日常生活に英会話を取り入れ、一緒に英語で考え、英語でアウトプットすることを通じ、子どもたちの想像力や思考力、感性とともに英語力を高めていきます。私はそれを各ご家庭で実践してもらうためのティーチャーをしています。

ー以前からそのようなお仕事をされていたのですか?

いいえ、違うんです。帯同するまで勤めていた会社では、一貫して秘書業務に従事していました。IT系のいわゆる大手で、会長をはじめ重役の秘書をしていましたから、それはもう華やかな世界でしたね。

忙しい中にも学ぶことが多く、著名な方にお会いする機会もあったり、刺激的な毎日を送っていました。当時は「この仕事を辞めるなんてありえない!」と思っていたほどです。

ーそれでは、アメリカへの帯同は大きな決断だったわけですね。

そうなんです。すでにフロリダで勤務していた主人との結婚を決めて渡米することにしました。当時、私は30代後半。今後のことを色々と考えちゃう年齢ですよね。

やりがいを感じていた秘書の仕事を辞めるのは心苦しかったのですが、どこか「そろそろ次のステージに」という気持ちもあって、退社を決断できました。

ー初めての帯同生活はいかがでしたか? 語学面などで苦労されたのでは?

実は学生時代にバックパッカーをしていて、その頃から英語には親しんでいました。ほとんど一人旅ですから、何もかも自分で手配しなきゃいけないんですよ。

時間もお金もかけて勉強して、それなりに英語力を身につけたつもりでいました。だから渡米する際は、語学面は何とかなると高を括っていたんです。

ところが!予想外の展開が待っていました。自分の英語がまったく通じなかったんです。本当にびっくりするくらい。これまで学んできた通りに伝えても上手く伝わらず、現地の人には、ほとんど相手にもされないような状況でした。

語学は学ぶだけでなく、それを使ってコミュニケーションがとれなければ意味がないことを痛感しましたね。アットホーム留学に取り組むことになった原点は、まさにこのときの経験にあります。

アメリカでは出産したこともあって毎日の生活で手いっぱいでしたが、娘が1歳を過ぎた頃からアダルトスクール(ESL)に英語を習いに行きました。


アメリカ時代に図書館でボランティアとして英会話のレッスンをしてくれていたJenniferです。今でもお付き合いが続いています。

ーそうだったんですね。その後のインドネシアでの生活はいかがでしたか?

アメリカから帰国して一旦は日本で生活をしていたのですが、1年半後に今度はインドネシアへの赴任が決まりました。

アメリカと違って治安にも問題があり、不便に感じることが多々ありましたね。ちょっとスーパーに行くにも、危険だからドライバーが運転する自家用車でしか行けない。これがまたすごい渋滞で、たった5キロ先でも2時間かかっちゃう時もあるんです。

自分ではどうすることもできないことが本当に多くて、ずっとモヤモヤしながら過ごしていました。

その頃から、私には何ができるんだろう、私は何がしたいんだろうと色々考えるようになって。いつしか「帰国したら絶対に自分のライフワークを見つけよう」と心に決めていました。


いつもコーヒーを調達していたパサール内(市場)のコーヒー屋さんにて


ジャカルタで開催された「ジャカルタージャパン祭」にて。お友達と浴衣で参加したお祭り。どこへ行っても「一緒に写真撮ってもいい?」と囲まれていた娘たち。

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