オーストラリア・パースで2度のハイリスク出産をされたSさんのインタビューです。
第一子、第二子共に出産後にNICU(新生児集中治療室)へ移動、ご自身も子宮摘出をご経験されたSさん。その当時の心境と、どうやって困難な状況を乗り越えられたのかをお話いただきました。
前編、後編の2回に分けてお送りします。
このインタビューには、生まれた赤ちゃんが入院したり、手術を受けたりする描写や流産の記述が含まれます。そちらを踏まえて、お読みください。
自己紹介をお願いします
Sです。オーストラリア・パースに6年間滞在し、2019年に本帰国しました。2014年に第一子、2017年に第二子を現地で出産しています。
妊婦健診~出産まで、簡単に流れ(スケジュール)を教えてください
第一子、第二子とも、市販の妊娠検査薬で陽性を確認してから、妊娠8週頃にパース日本語医療センターを受診しました。
General Practitioner (一般開業医、以下GP)の診察を1〜2回受けた後、妊娠12週頃に現地の産婦人科専門医を紹介していただき、その後は専門医のクリニックで妊婦健診を受けました。妊婦健診は、中期まで4週に1回、後期は2週に1回、臨月になると週に1回の頻度です。私は希望して、12週頃にNIPT(新型出生前遺伝学的検査)を受けました。また、専門医を通して、私立の出産病院を予約しました。私が通っていた専門医のクリニックは、出産病院と同じ敷地にあったので便利でした。
現地滞在の日本人は、外来健診は個々のドクターのオフィス(=日本でいうクリニック)を受診し、入院時には分娩施設のある私立病院で産むという選択をする人が多いです。健診と分娩場所は違うものの、基本的に双方は同じ敷地内や近所にあるので、緊急時などの例外を除けば、1人のドクターが健診から産後まで一貫して診てくれます。私を診てくださったドクターは、とても熱心で真面目な人のため、日本人の患者が多く駐在員にも有名で、土日も様子を見に来てくれたり、夜遅くまで対応してくれたりしました。
一方、費用や場所といった様々な理由で公立病院を選ぶ人もいます。なお、公立病院の場合は、妊婦健診から出産まで同じ病院で行います。担当医制ではなく、毎回違う医師が診察するようです。
どのような妊娠期間でしたか?
つわりが辛く、吐き気と嘔吐で食欲もなく、体重が落ちていきました。体力がなくなったり、血圧も低かったりしたので、妊娠初期に何度も受診することになったのが大変でした。特に2度目の妊娠では、病院に上の子を連れて行くことも大変でした。
第一子出産後、流産を2回経験していますが、いずれも初期段階の超音波検査や血液検査で分かりました。すぐに専門医を紹介され、手術を受けました。
術前にセラピストが来て、そのときの気持ちを聞いてくれたり、心のケアに関するリーフレットを渡してくれたりしました。身体のことだけでなく、心理面にも配慮してくれたことが支えになりました。
流産後も妊娠を望んでいましたが、「またダメになるかも」と弱気になることもありました。しかし、医療に関する知識が多少あったことから、「流産は自分のせいではない。たまたま2回続いただけ」と考えていたように思います。
パースの広々とした環境や大らかな雰囲気が気持ちを楽にしてくれたような気がします。
妊婦健診の流れを教えてください
超音波検査については、妊娠期間を通して3~4回程度でした。母子の状態に応じて変わるので、私の場合は通常よりも多かったです。
妊娠中期には、病院主催の両親学級のようなものがありました。陣痛から出産までの流れの説明や、男女に分かれて”赤ちゃんができたら失うもの”についてのディスカッションを行いました。「時間」「お金」「自由」といった答えが上がっていました。
後期には出産病院の助産師と面談を行い、既往歴の確認や入院についての説明を受けました。
海外での妊婦検診で、不安や心配なことはありましたか?
出産までのスケジュールの全体像が見えにくかったので、不安でした。
また、現地の産科医の診察を受けていたので、言葉の不安もありました。パース日本語医療センターが、有料で日本人の医療通訳を派遣してくれるサービスを行っていて、それを利用することも多かったです。滞在が長くなるに連れて、多少は英語に慣れてきましたが、医療に関する単語は難しく、それを聞き逃さず対応してくれる通訳さんには本当にお世話になりました。
第一子出産時のことを教えてください
妊娠後期に赤ちゃんの成長が遅いと指摘され、予定日前に計画出産しました。促進剤を使いましたが、分娩がうまく進まずに帝王切開になりました。
生まれてからも問題がありました。ミルクをまったく飲まず、飲んでもすぐに吐くを繰り返していました。
「どこかおかしいのでは」と不安を感じていた2日後、偶然吐く場面を見た助産師が異変を感じ、NICU(新生児集中治療室)へ移動しました。小児科医の診察や検査が続き、小児専門病院へ搬送されることになりました。
新生児専用の救急車で転院し、検査の結果、その日の深夜に緊急手術となりました。
手術についての医師の説明はとても丁寧で、医療英語に関しては電話通訳を利用しながら、親切に質問に答えてくれました。電話通訳は日本語以外にも多くの言語に対応しており、院内には利用を促すポスターも貼ってあります。無料で利用できる公的なサービスでした。
心配なことはたくさんありましたが、親切で手厚い対応の医療スタッフを信頼することができました。手術は無事に終わり、術後に我が子の顔を見たときは、本当に安心しました。
第二子出産時のことを教えてください
上の子が3歳になった頃、妊娠が分かりました。
つわりはありましたが経過は順調で、妊娠7カ月頃に一時帰国もしました。しかし、パースに戻ってから出血があり、全前置胎盤(子宮の出口を胎盤が完全に覆ってしまっている状態)という診断を受けました。
妊娠中に大量出血する可能性があり、出産時の出血リスクも高いとのことでした。通常、胎盤は赤ちゃんが生まれてから自然と剥がれ落ちます。しかし私の場合は、胎盤と子宮が癒着していたため、出産と同時に子宮も摘出する必要があると説明を受けました。
その説明を聞いたときは衝撃を受けましたが、もう仕方がないという心境だったように思います。
第一子の出産後に流産が2度続き、2人目は無理かもしれないと思っていました。しかし幸運にもまた妊娠することができ、ここまで来られたのだから、子宮を失っても無事に出産できれば十分だと思いました。
結果、35週で出産することができました。帝王切開で赤ちゃんを出してから、全身麻酔に切り替え、子宮を摘出しました。
手術の前日は、緊張と不安で一睡もできませんでした。「この睡眠不足と疲労感で手術を受けるのか」と心配もありましたが、「麻酔中はずっと眠っているんだし、一晩くらい寝なくても大丈夫!」と言い聞かせていました(本当はしっかり休んだ方がいいと思います。)
余談ですが、術後まだ意識が朦朧としているとき、担当医に声をかけられた私は「I’m alive!」と言ったらしいです。一言目に「私は生きている」と言うほど、実は心配していたようです。得意でない英語が無意識に出たことにもビックリしました。
第二子を出産してからもまた大変でした。
赤ちゃんは、呼吸状態が落ち着かないのことで、NICUへ移動となりました。一方、私は全身麻酔の影響もあり、しばらくベッドから起き上がることができませんでした。傷の痛みも強く、モルヒネを使って抑えていました。
やっとのことで我が子に会いに行ったときは、不思議な感覚がありました。それまでは、自分のお腹の中でしか生きていなかった自分の子どもが、出産と同時に、自分が側にいなくても生きているという現実に、戸惑いのようなものがありました。身体中に点滴や酸素の管をつけていたこともあり、「かわいい!」とか「愛おしい!」の前に「自分がいなくても大丈夫なんだな」と不思議に思った記憶があります。
それから徐々に一緒にいる時間が長くなるとともに、愛情を築いていった気がします。もちろん今ではかわいくて仕方のない存在です。出産直後の不思議な感覚でした。
困難な状況を乗り越え、2人のお子さんを無事にご出産されたSさん。どうしてSさんは、海外での出産をご決断されたのでしょうか。▶︎後編に続きます。