本帰国エピソード vol.6 ~バンコクでの生活が私に教えてくれたもの~

タイに2年滞在し、本帰国したHaruさんへのインタビューです。本帰国が決まってから行ったこと、本帰国後に感じた逆カルチャーショック、2年間の滞在生活で感じたことなどをお聞きしました。

自己紹介をお願いします。

Haruです。2019年3月~2021年3月の2年間、タイのバンコクに滞在していました。

本帰国が決まって感じたことや、行ったことを教えてください。

今、これを読まれている方はすでに本帰国が決まった方でしょうか。それとも、いつ来るかわからぬ審判の日をドキドキしながら待っている方でしょうか。

我が家は本帰国が予定より早くなったこともあり、「やめて~!今じゃない!」という気持ちしかありませんでした。一大決心で仕事を辞めてきたことや、日本の友人たちと派手にお別れ(笑)してきたこともあり、辞令が出た時には「2年で本帰国ってどうなのよ」という思いが一瞬、頭をよぎりました。

ただ、自分の明日さえままならない同行の身であると覚悟していたので、すぐに現地でしかできないこと、例えば語学以外だとルーシーダットン(タイに伝わる自己整体法)、タイ料理、カービング、タイの弦楽器演奏など、タイ文化をひと通りかじってやろうと手を出しまくりました。元から手を出していたものに加え、さらに躊躇なく挑戦しました。

旅行だけは、タイを拠点に東南アジアをめぐる計画がコロナ禍で叶わず残念でしたが、“タイ国内マニアック旅行”を極めることに専念しました。

本帰国時は、コロナ禍の真っただ中でした。タイで陰性証明を取るためにPCR検査を受けた時、子どもが暴れまくり鼻から大出血して服が血まみれに。それを見た末っ子がパニックになって医者を蹴り倒すという事件がありました。また、我が家は荷物が多すぎて引っ越しが最難関でした。4人家族でダンボールたった10個で本帰国したという驚異の友人がいる中、我が家は人様には言えないほどの段ボール数で、タイの人にも呆れられるという場面がありました。

逆カルチャーショックはありましたか。

渡航前に夫の話を聞いて、タイの人はいい意味でおおらかで明るい、悪い意味ではいい加減なのだろうなと思っていました。渡航してすぐに、我が家の運転手さんが突然、渋滞している道の真ん中に車を止めて、私と子どもたちを車の中に残したまま、トイレットペーパーを持ってダッシュで消えてしまうという出来事がありました。彼はおなかを下したらしく、トイレに行っていたのです。私たちは道の真ん中でクラクションを鳴らされながら、車の中でひたすら待つしかありませんでした。

また、約束していたアヤさん(家政婦さん)が突然来られなくなり、「姉を紹介する」と言われたのですが、やって来たのはかなりお年を召したおばあちゃん。彼女はまったく仕事ができませんでした。タイでは「できる、できる」と言われ、できないのは日常的によくあること。日本ではあまりないことが起こりましたが、2年いるうちに「死ぬわけじゃないし、そんなこともあるよね」と流せるようになりました。

ということで、2年しかいなかったくせにすっかり現地に馴染んでいた私は、本帰国後、「日本人ってきっちりしているのはいいけど、本当に細かいな」「将来のこと、先のことを心配しすぎだな」と思うようになっていました。日本で暮らしている時は、自分もそっち側の人間だったのに、なんという変わり身の早さでしょう……。

また、本帰国して間もない頃、中高年の男性がイライラして子どもに当たり散らすことがよく目につき、悲しい思いをしました。タイでは子どもはかわいがられこそすれ、罵倒されるようなことは決してなかったので。

世界にはいろんな尺度をもって生きている人たちがいると思うと、「自国の考え方って特殊なんじゃないか。絶対にそれを守る必要があるのだろうか」と、物ごとを一歩引いて見ることができるようになりました。それは「絶対的な価値観なんてないんだ」と気づかせてくれ、せまい考えに陥りそうな今の自分を助けるものになっています。「多様性」だと頭ではわかっていても、体験して腑に落ちなければ、ここまでしっかりと自分のものにはできなかった考え方です。

タイに馴染み、タイの人の感覚を受け入れるようになっていた私。ただ、本帰国後2年という時が経過した今、タイに染まり切っていた頭がフラットになり、「日本人の生真面目さが私たちを形づくり、日本人にしかできないこともある」とわかってきました。そして、海外から見れば、それが魅力的に映るということも……。日本も海外もわかるからこそ、私たちにできることがあるだろうと、今は思っています。

お子さんの教育について教えてください。

子どもが3人います。上の子ども2人は日本人学校に通っていたので、本帰国後も迷うことなく日本の公立小学校に戻りました。もともと住んでいたエリアに戻り渡航前と同じ学区なので、2年という期間はそこまでハンデにならなかったなと思います。1番上の子は日本の小学校を知っていましたが、2番目の子は初めてだったので、給食があること、土足で教室に上がらないこと、トイレに紙を流していいことなど、日本では当たり前のことに少しだけ面食らったようです。

末っ子だけはインターの幼稚園に通っていましたが、1年間だけだったため、英語が十分身についているとは言えませんでした。帰国後は悩んだ末、日本の幼稚園に入れました。通いはじめて少したった頃、「お友だちに英語で話さなくてもお話できるの?!」と聞いてきたことがあります。最初は戸惑っていた末っ子も、日本語でよいとわかると、楽しくお友だちと話すようになりました。そんな姿を見て、タイでは末っ子なりに頑張っていたのかなと思いました。

再就職、キャリアチェンジに関してはいかがでしたか?

2年という短い離職期間が幸いしたのか、本帰国して半年後にはもともと勤めていた会社に正社員で復帰しました。

帰国後しばらくした頃、私が日本に戻ったことをSNSで知った上司から、「(会社に)いつ戻ってくるの?」というお話をいただきました。タイではどちらかといえば、現地の生活や、子どもたちがそれぞれ生活になじむことが最優先で、自身のキャリアについて十分考える時間があったとは言えません。さらに、辞めたくないほど好きな仕事だったこともあり、キャリアチェンジをゆっくり考える暇もないまま、上司からのお声がけがきっかけであれよあれよと復職したという感じです。

また、幼稚園に入った末っ子が保育園に移れるまでは、時短でゆっくり働こうと考えていました。とりあえず、地域の中でも最難関の保育園に転入届を出して、入れるまでゆるゆる待とうと思っていたところ、なぜかすぐに空きが出て転園できてしまったのです。これは「お前はまだしっかり働け!」という啓示だと思い、フルタイムで働いています。

たった2年とはいえ、ビジネスの世界は目まぐるしく変化します。そんな中、慌ただしくも緊張感のある日々を過ごせているのは、とてもよいこと。あのタイでの日々は、長い人生で訪れた、束の間の夏休みだったのだと思います。

これから本帰国される方へメッセージをお願いします。

一部の人をのぞいて、海外生活は必ず終わりが来ます。その時に、自分が「まだこの国を離れがたい!」「まだまだやりたいことがある!」と言えるのなら、とても幸せなことではないでしょうか。そして、その気持ちを持って海外生活を終えれば、帰国後の生活できっとプラスな気持ちに転換できると思います。私は、もともと駐在同行に対して、非常に抵抗があった人間です。ひと所に根を張って生きるような生活をイメージしているのに、私にはコレ!と決めた仕事があるのに、夫の仕事の都合でそれらを諦めて海外についていくなんて「アンビリーバボー!」と、考えがゴリゴリに凝り固まっていた人間でした。

本帰国して思うのは、「自分が選ぶものだけが正解ではない、すべてでない」ということ。夫の会社の都合というところから、突然転がり込んできた引っ越しや退職は、自分の選択だけでは、決して知り得ることのなかった人たちと引き合わせてくれ、今まで見ようとも思わなかった世界を見せてくれ、広い世界を知る機会を与えてくれました。

それを知って日本に戻ることで、渡航前とは違う視点を持って再び日本で生きていくことができる。なんてすばらしいことでしょう!私たちはラッキーガールなのです。本帰国して2年経った今だからこそ、そう思えるようになりました。

あなたの帰国してからの人生が、さらに彩られますように!

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