今回のインタビューは英国在住のまり子ラベンダージョーンズさんのご登場です。まり子さんは11年に及ぶシンガポールでの帯同生活を経て、現在はご主人の出身である英国で「ココロとカラダの健康応援団長」としてヨガとアーユルヴェーダの教えにもとづくヘルスコーチングをしてご活躍されています。
長いシンガポール生活の間にプチうつ、原因不明の全身湿疹、そして乳がんを含む7回の手術と困難に直面しながらも、「それがあったから今の自分がある」とおっしゃるまり子さん。前編ではシンガポール時代の困難について、後半ではこれからの展望についてお伺いします。
楽しみにしていた帯同生活で「まさか自分が」
-シンガポールに帯同した時の状況(家族構成・それまでの職歴など)を教えてください
東京で出会った英国人の夫と、子ども3人。シンガポールに帯同した2002年時点では、長女が6歳、長男3歳、次男1歳でした。
独身時代は日本語教師、結婚後から出産前までは、ジャパンボランティアセンターというNGOの東京事務所に勤めていました。はじめはボランティアとして、後にはスタッフとして、ベトナム開発援助プロジェクトの事務作業を手伝いました。出産後は専業主婦として過ごしていました。
-シンガポールに帯同が決まった時のお気持ちはどうでしたか?
帯同が決まる前にも旅行で数回訪れたこともあり、シンガポールは大好きな国でした。アジアの国ですが英語が通じますし、安全だし、きれいだし、食べ物もおいしい。ですので行く前は全く不安がなかったんです。学生時代に留学経験もあったので、語学の面でもあまり不安はありませんでした。
そのようにとても楽しみにしていたので、帯同後に落ち込んでいた時は「まさか自分が!」という感じでした。
環境の変化と寂しさでプチうつ状態に
-帯同生活を楽しみにされていたにも関わらず、体調や気分の落ち込みを経験されたとのこと。どのようなことが起こったのでしょうか。
まず、水や食べ物・気候の違いからか、元々皮膚が弱かったので、全身アトピーが6カ月ほど続きました。
また、自分が安心できるような人間関係もなかなか作ることができませんでした。積極的に外に出れば友達ができるはずだと思って自分なりに頑張ってはいましたが、思ったようにはいきませんでした。
シンガポールに渡ってすぐに、子どもが通うインター幼稚園のクラスマム(役員)を引き受けました。そうやってお友達はできましたが、自分の居場所を感じられて心が通い合う友人はなかなかできませんでした。まだ赤ちゃんだった末っ子を公園に連れて行ってみても、日本のように公園で母親同士が親しくなるという機会がそもそもありませんでした。シンガポールでは、メイドさんが子どもを公園に連れて行っていることが多かったのです。
努力しているものの、空回りしていました。
本当に寂しさを感じたのは、インターに通う子どもたちが家の中でも英語で会話しはじめた時です。夫には会社があって、子どもたちには学校や幼稚園がある。自分だけが取り残されたような気持ちになりました。
帯同してから3カ月を過ぎた頃に、夜に独りで泣いたりする日が続きました。今思えばプチうつぎみだったのかもしれません。
-その状況はどのくらい続いたのでしょうか?
半年ほどでしょうか。夏にシンガポールに渡ったのですが、ちょうど旧正月の頃にDick Leeというシンガポールの歌手のコンサートに行きました。その時にHomeという歌を聴いて何かがパーンと弾けたように感じました。それまでは心のどこかで「シンガポールはあくまで仮の住まい」という気持ちでいたのですが、歌を聴いて「Homeとは自分の家族がいるところ、今、自分がいるこの場所が私のHomeなんだ」ということに気付かされました。そのように意識が変わったら嘘のように湿疹が治っていきました。ココロとカラダの関係を実感したエピソードです。