【帰国後インタビュー vol.6 前編】シドニーから帰国後、オンラインショップ運営、そして心理カウンセラーの道へ

2008年から2011年まで、駐在妻としてオーストラリアのシドニーに滞在していた三橋聡子さん。現在は、心理カウンセラーと書道教室の運営という2つの仕事をされています。

5学年ずつ年の離れた3人のお子さんを持ち、10年以上主婦だった聡子さんが、帰国後に個人事業主として働くことになったきっかけや経緯をお伺いしました。

このインタビューは、2019年7月5日に開催したオンラインカフェ、駐在妻経験者に聞く「キャリアのジャングルジムをのぼるために今できること」個人事業主編として、参加者の皆さんにお届けしたものです。

妊娠後、専業主婦へ。 海外生活を経て生まれた焦燥感

-シドニーに 行く前はどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

大手百貨店の伊勢丹に勤めていました。一度退職しましたが、夫の国内転勤先に新しく伊勢丹ができたため、そちらでも契約社員として働きました。

でも、長男を妊娠しているときにつわりがひどく、立ち仕事が難しくなってしまい、再び伊勢丹を退職することに。

夫が転勤族ということもあり、その後、国内とシドニーを含め7回の引っ越しを経験しています。12年間も専業主婦だったため、「働く」ということは『透明』と感じるくらい遠いことでした。

-専業主婦であることに焦りを感じたことはありますか。

長男が小学校に上がったとき、パートとして働き出したママたちが周りに増えて焦ったことがあります。ただ長女がまだ1歳だったので、「私も!」という気持ちにはなれませんでした。

シドニーへの駐在に同行したときに、焦燥感が強くなり、自分のライフスタイルについてあらためて考えるようになりました。

-焦りが出たのはシドニーの環境が影響していますか。

長男と長女はシドニーの現地校に通っていたため、オーストラリア人のママ友と仲良くなったのですが、「あなたは何をしているの?」と聞いたり、聞かれたりするのが当然という環境でした。ママ友たちは皆、子育て中で一時的に休んでいても、落ち着いたら仕事に戻るというライフプランが確定している様子でした。

そんなママ友たちと接していく中で、「自分は子育ての次のステップが何も決まっていない」という焦りが強くなりました。

シドニーで出会った「新たな仕事」

-当時、シドニーでお仕事を始めようとしたそうですが、どのようなことがきっかけだったのでしょうか。

焦りはありましたが、資格もないし、海外で働くなんてできるの?と考えていたところ、シドニーに永住している友人から、「ちょっとビジネスしない?」と誘われたのです。2009年、次女が生まれた直後のことでした。

働く=どこかに勤める、というイメージしかなかったので、「ビジネスするってどういうこと?」と興味を持ちました。

※当時と現在では、オーストラリアのビザの種類や就労の可否は変わっているそうです。最新のビザ・就労情報は必ずご自身で確認してください。

-ビジネスモデルは最初から決まっていたのですか。

友人は日本にいる父親と一緒に、海外でファブリックや椅子などを仕入れて、日本の店舗に売るという仕事をしていました。仕事の形を変えようと模索しているときに声をかけてもらったのです。

-「何から始めよう?」というところからのスタートだったのですね。

はい。某ブランドのバッグを持っていたらシドニーでたくさん声をかけられたので、「これを売れば仕事になるのでは?」と思いました。東京の会社に足を運び、シドニーで商品を置いてもらえるお店を探すなど、ビジネスを形にできるよう進めていきました。しかし、残念ながら諸条件が合わず、そのお話は終わってしまいました。

-その後、ご友人とのビジネスはどうなったのでしょうか。

震災の直後に私たち家族は急遽日本に帰国することになったため、現地で収入が得られる形にするところまでには至りませんでした。

そこで、日本とシドニーを通じて仕事をしようということになり、シドニーにいる友人とオンラインショップを立ち上げました。オーストラリアのベビー服を友人が仕入れて、私が日本で売るというビジネスモデルです。

エクセルもワードも使ったことがなかったので、パソコンの使い方を勉強しなければと思っていたところ、フリーペーパーの「シティリビング」でママのための起業スクールがあることを知り、そこに1年間通うことにしました。

本帰国後、ママのための起業スクールへ

-ママのための起業スクールはどのような内容だったのですか。

昭和女子大学がダイバーシティ推進の一貫として行っている「昭和女子大学ママチャレ」というもので、起業コースのほかに再就職コースもありました。

【参考】大学プレスセンター

私は起業コースで、オンラインショップを日本で運営するにあたって必要なことを学びにいきました。

世田谷区の助成金が出ていたため、当時の学費は1年間で約3万円と格安でした。選ぶ講座によって通う日数は変わりますが、私は週3〜4ほど通って学びました。

大学というところに自分の居場所があることがうれしく、学ぶことは本当に楽しかったです。

-スクールに行っている間、お子さんはどうしていたのですか。

どうしてもスクールに行きたいと思い、2歳の子どもの預け先を探すことにしました。昭和女子大学には一時保育があり、そこに預けて勉強できたのは助かりました。

失敗談がきっかけとなり、カウンセラーを目指すことに

-起業スクールに通ったことはオンラインショップの運営に役立ちましたか。

コンサルタントの先生にオンラインショップの運営方法を学び、アメブロで毎日ブログを書くなど努力はしていましたが、結果的には、事業は軌道にのっていませんでした。

そんなときスクールの先生から、「一時保育に子どもを預けているママたちに、オンラインショップがうまくいっていないという話をしてほしい」と頼まれたのです。

-「うまくいっている」話を求められたわけではないところがおもしろいですね。

一時保育に親子で遊びにきたり、子どもを預けたりしているママたちは、育休中か仕事に復帰して働いているわけですが、「会社員としてガツガツ働くよりも、仕事の調整がしやすそうな個人事業主になったほうがいいんじゃないか」と考えている人が多いから、「そんなに甘くない」ということを話して欲しいと言われたのです。

やる気を持ってがんばっているのに、どうして失敗した話をしなきゃいけないのかとは思いましたが(笑)、誰かの助けになるならと思って話しました。皆さんとても興味津々で、「細々とでも事業を続けて、社会とつながっていたいという気持ちはあるけれど、この事業だけに執着する必要もないのではと思っている」という話をさせていただきました。

-リクエストがあって何回もお話をされたと聞いています。

3、4回はお話をしました。そのとき、オンラインショップでお客さんが見えにくい仕事をするよりも、人前で話をするほうが好きだと感じたのです。

またスクールのある先生に、「あなたは人前で話すのが好きそうだし、人の話も聞けるし、カウンセラーという仕事もあるよ」と言われたのが大きな転機でしたね。

2年半かけて、本格的なカウンセラーの道へ

- そこでカウンセラーを目指すことになったのですね。

実は、最初に「カウンセラーは素晴らしい仕事だ」と感じたのは、シドニーから帰国した直後のことでした。

帰国後、夫は仕事、長男と長女は学校、でも私は当時2歳の次女を抱えて周りに知り合いもおらず、どこへ遊びに行けばいいかもわからないという状況で、ストレス性湿疹になってしまったのです。

湿疹の症状よりも、「こんな私がストレスを抱えるの!?」ということの方がショックでした…。

近所に開院したばかりのきれいな内科を見つけたので、湿疹を診てもらおうとそこへ行ってみました。すると問診がすごく長くて、たくさん話を聞いてくれたのです。

お医者さんにも、「『ストレスが症状として出てくるような自分もいた』って気づけてよかったじゃないですか」と笑ってもらえて、少し気持ちがラクになりました。

ずいぶんたくさん話をさせる内科の先生だったなぁと思って、診察後に病院の看板をよく見たら、内科・心療内科って書いてありました(笑)

知らないうちに受けていたカウンセリングでしたが、話をしてとても救われました。いろんな自分がいるんだということに気づけて、カウンセリングや心理学はすごいと感じました。

-そしてスクールの先生の一言で、カウンセリングを学び始めることになったのですね。

スクールの先生からカウンセラーを勧められたときに、「そういえば心療内科で話を聞いてもらって気が楽になったな」ということを思い出して。同じように自分が話を聞くことで、誰かの気が楽になるならそうしてあげたいと感じたのです。

成城心理文化学院というスクールで学びたいと思ったのですが、迷いがたくさんあり、最初は自分自身が悩みを相談する立場で通いました。スクールに通うにはお金もたくさんかかるし、専業主婦に戻ったほうがいいのか?といったことを話していました。

通っているうちに、「あなたは講師に向いているから、養成コースに行った方がいいのでは」と先生に勧められ、2年半ほどかけてシニアカウンセラーになりました。

- カウンセラーだけでなく、絵本セラピストの資格も取得されたそうですね。

私は自分自身の経験から、一生懸命で、「大丈夫です」「悩みはないです」と気が張っているママたちに寄り添いたいと思っていました。

そのため、カウンセラーの勉強をしつつ、ママたちにより馴染みのあるようなアプローチがしたいと、半年ほどかけて絵本セラピストという資格を取りました。

【参考】絵本セラピスト協会

もともと子どもたちの日本語保持のため、自宅に絵本を200冊くらい持っていましたし、読み聞かせもたくさんしていました。

カウンセラーの勉強を続けながら、月に1〜2回、絵本セラピーのワークショップを開くようになりました。

-カウンセラーの勉強をしていたときは、オンラインショップはどうしていたのですか。

オンラインショップも少しですが続けていました。ビジネスをしようと声をかけてくれた友人とつながりを持っていたかったのです。

しかし2時間とはいえ、時差のある中でやりとりをする苦労はお互いにありましたし、いったんビジネスパートナーではなく、友達に戻ろうという話になりました。

オンラインショップを閉じたあと、個人事業主登録を小売からカウンセラー講師に変更しました。

-そこから本格的にカウンセラーとして活動を始められたのですね。

はい。ママたちをカウンセリングしていて、悩みとして圧倒的に多いのは、自分の居場所がどこだかわからないということです。

ママたちの笑顔をつなぐカウンセリングをしたいと思い、屋号を「マザーズブリッジクラブ」としました。

マンツーマンのカウンセリングと、グループワークの絵本セラピーという2つのスタイルで活動を進めていきました。

-ご主人は聡子さんが働いたりスクールへ通ったりすることについて、どのような反応をされていましたか。

シドニーでは子どもの送迎をお父さんがすることが多いのです。次女をシドニーで妊娠・出産したこともあって、夫は少しずつ家事育児の手伝いをしてくれるようになりました。

ビジネスをすることになったときも、「君が楽しいならいいんじゃない」と見守ってくれました。

後編では、三橋さんのもうひとつのビジネス、書道教室についてお聞きします。


※ こちらの記事作成は青海 光さん(元インド駐在妻・現フリーランスライター)にご協力いただきました。

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