働けない自分に悩んだモヤモヤ期、そこから脱却するために取組んだ「今だから、できること」

仕事を休業してキルギスでの帯同生活を始めた当初は「働けない」自分に悩んだという紀子さん。そこからどのように脱却され、海外生活を楽しむまでに至ったのかをお聞きしました。

自己紹介をお願いします

紀子です。7歳の娘がいます。渡航前は、地方公務員の事務職員として20年以上勤務していました。夫のキルギスへの赴任が決まった時は、ちょうど「配偶者同行休業制度」ができたこともあって、休業して家族でキルギスに来ました。夫の任期は3年で、今は2年半が経ったところです。

帰国後はまた職場に戻れるという恵まれた状況で同行しましたが、いざ生活が始まってみると「仕事ができない、働けない」というモヤモヤに苦しんだことを覚えています。

モヤモヤされたとは、どのような状況だったのでしょうか。

海外生活が始まって数カ月は、生活そのものに慣れることに精一杯でした。日々の買い物、娘の学校の送迎、現地在住の日本人とのお付き合いに加え、新しい学校に馴染めずぐずりが続く娘のケアもあり、とにかく毎日が必死でした。

ところが、3カ月ほど経って生活全般に慣れてくると、今度は昼間に自宅でひとりでいる時にふとむなしさを感じるようになりました。それは、自分自身が「夫の妻」「娘の母親」という立場だけになってしまったことに納得できず、「仕事をしていない私は社会に何も貢献できていない、私は本当は日本に戻って働きたいんだ。」という気持ちに気付いたからです。

夫をサポートすると決めて同行したので今さら帰国することは現実的ではないとわかっていましたが、そう思うほどに「仕事をしたい」という気持ちが強くなりました。当時は夫自身も慣れない仕事に相当のストレスを抱えているように見えたので、自分の思いに寄り添ってもらえるとは思えず、一人で悶々とする日々を過ごしていました。

休業する前の日本での仕事は、私にとってやりがい以上にリフレッシュとなっていました。子育てとの両立で余裕のない毎日でも、仲間との他愛もない会話から勇気づけられたり、服を着替えて仕事に向き合うことで気持ちの切替えにもなっていました。仕事をしている時は「私は頑張っている」と認めてもらっているような感覚があったので、休業を「キャリアの空白期間」と捉えてしまい、大きな喪失感を感じていました。

駐在員として仕事を頑張る夫やキャリアを積み重ねている同期たちに羨ましさと焦りを感じ、また、自分が稼いでいない負い目からか、夫から節約するよう言われたわけではないのに生活費を必要最低限で使うことに寂しさも感じていました。

どうやってその気持ちを切り替えていったのでしょうか?

渡航前、私は帯同生活に大きな不安があったため、元駐在妻の方からお話を伺う機会をたくさん作りました。夫の会社での研修や、海外子女教育振興財団の講習などを受講したのです。そこで出会った元駐在妻の皆さんは生き生きとした笑顔が素敵で、とてもキラキラと輝いて見えました。皆さんはそれぞれ、「せっかくの海外生活ですから、有意義に過ごしてください」「本帰国する時にどんな自分、どんな家族になっているか、それを決めるのは自分の心次第ですよ」とアドバイスしてくださいました。

その言葉が自分の中でよみがえり、「自分はどうしたいんだろう」と自問自答しました。そして、「今だからできること」にフォーカスすることにしたのです。

せっかく海外生活を経験するなら、「小さな民間外交」、「草の根の交流」をしたいと思いました。私一人にできることは、ごくごくわずかだけれども、日本という国のファンを一人でも増やしたい、日本のことを少しでも知って欲しい、と思ったからです。

まずは、さまざまな国から来た外国人女性が集まる「ウィメンズクラブ」に参加することにしました。ロシア語(キルギス語)圏のキルギスで、英語で交流できる貴重な機会です。月1回開かれるホテルでの定例会では、講演を聴いたり、メンバーとのおしゃべりを楽しみます。その他に、料理、ハイキング、手工芸、読書等のクラブ活動があり、希望する活動に参加できます。ここには国連等の国際機関、民間企業、大使館の駐在妻の方、キルギスで働く外国人女性、いろいろな立場の方と交流することができました。

娘のインターナショナルスクールでは、日本で言うところのPTAの役員活動に参加しました。こちらも同じクラスのお母さんから「ぜひやってみない?」と誘われたことがきっかけです。英語が得意ではなかったので、まさにそこに「飛び込んだ」感覚でした。

そこでどのような活動をされたのですか?

ウィメンズクラブでは、自宅で日本料理教室を開催しました。きっかけは、料理クラブのリーダーから「日本料理はみんな大好きだからぜひやって欲しい」と頼まれたからです。料理教室といっても私はこちらで仕事はできないため、自宅のキッチンを使って、参加者からは材料費だけをいただいてのボランティアです。

自分一人では自信がなかったので、日本人の友人たちに助けてもらいながら、手巻き寿司、鶏肉の南蛮漬け、味噌汁の作り方を教えました。「好きな具を入れられるので子どもたちも喜ぶわね」と、特に手巻き寿司が好評でした。この料理教室は月に一度、15名ほどの規模で各家庭で開催されるのですが、私の日本料理はうれしいことに希望者が殺到して、「私も行きたかった」と多くの方から声を掛けてもらうほどでした。

その他に、娘の学校のイベントでは日本文化を紹介しました。折り紙、水風船、書道や茶道、着付けのデモンストレーションなどです。また、各イベントの際には役員の仲間たちと日本料理を販売し、学校への寄付金にする活動にも参加しました。

そういった経験から得たものや感じたことはありますか?

キルギス人を含めた外国人の皆さんが、日本という国に強い興味を持ち、日本を愛してくれていることがとても嬉しかったです。英語がとっさに出てこないもどかしさを感じつつも、自らが「伝えたい思い」や「笑顔」を大切に行動するだけでも、交友関係が広がりました。

思い切って飛び込んだ甲斐があって、どのコミュニティでも皆さんが本当に温かく迎え入れてくれました。友人たちと多くを語り合えるほどの語学力(英語力)はありませんが、育んだ友情が自分の大きな財産になった今、キルギスに来て良かったと、心から思えます。

また、「帰国後もその時にできることを精一杯取り組もう」という前向きな気持ちになれましたし、人生後半でやりたい仕事に出会うこともできました。このように、私が自分の人生と向き合い「長い目で見たキャリアプラン」を見直すことができたのは、広い世界を見させてくれたこの海外生活のおかげだと思っています。

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